Golfを始めて20周年記念
Golfの花道 2
by 恭司
I N D E X
独身の頃は、日帰りで近くのコースへ出かける以外に、1泊2日で遠くのコースに出掛けたり、新幹線で遠くのコースへお忍びで出かけたりしたものです。近くの関西方面のコースばかり行っていては井の中の蛙になりますので、出来るだけ各地のコース、出来れば、プロのトーナメントが行なわれるようなコースへ遠征に行きたいと思っていました。特に5月のゴールデンウィークは時機的にも遠征には最もGOODであり会社の仲間と毎年のようにツアーに出かけました。岡山方面の山の中や三田・福知山方面、伊勢松坂経由で伊勢湾を渡った愛知県の伊良湖、フェリーで淡路島を経由して四国徳島などなど。伊良湖シーサイドCCでは、風が強くてボールはすぐに松林へ。松の幹は葉がついてない為に向こう側が結構見えるので、打てば幹の間をボールが抜けていく確率が高いように思えますが、これが不思議とよく幹に当たります。宮崎のフェニックスCCでのトーナメントは多分こんな感じなんだろうと思いますが、松林に入ったら、プロでもそうしているように無理をせずに横へ脱出しておくことが最も良いのだと痛感しました。
四国徳島では初日に、毎年女子プロのトーナメントが行なわれていた月の宮CCでラウンドしました。プロのトーナメントをやる名門コースですが、徳島というローカル地区のコースで平日のプレイというと、信じられないくらい料金が安く驚きでした。2日目には瀬戸内海に面した鳴門CCでプレイしましたが、生憎この日は大変な雨と風。合羽を持って来ていなかったので全身びしょ濡れ、眼鏡には水滴がつきボールがよく見えない上に風でアドレスもままならず、まともなショットは打てないしおまけに打ったボールも風でどこへいくやら、さらにそのボールも激しい雨でよく見えない....ということで、何をしに来たのかわからない有様。本音はハーフで終えて中止して帰りたかったが、一緒に来た人達は「せっかく来たのだから最後までやっていこう」と言いいます。結局、後半も続けましたが、いくらゴルフが自然との闘いだと言っても、こんなものゴルフではない。四国まで行って、大変な目に合った遠征でした。
1989年の5月下旬に、会社の部署の上司や同僚と紀伊和歌山の海南CCなるところへ行き、ゴルフをした後、和歌山の保養所へ泊まって宴会をして帰るツアーを企画したところ、6月1日付で自分が異動することとなり、そのツアーが急遽、自分の送別会になってしまったということもありました。その時に送別の記念品として皆さんから頂いたネクタイは、余りにも自分の感性からは地味な柄だったので、その後一回も締めていません。皆さん、どうもすみません。
連休のツアーの他に、仕事をさぼって、いや、仕事にかこつけて遠くのコースに出かけたこともあります。山口県の宇部市にある取引先へ仕事で出かけた時に、近くに毎年プロのトーナメントをやっている宇部CCがあるのを見つけ、しばらくして再度その取引先へ出張してきた時に、こっそり翌日に同僚と業者の社員とで、宇部CC万年池西コースというトーナメント会場になるコースを予約しプレイしました。でもそこは、プロの試合をやるコースの割にはパっとしないコースでした。その他に、仕事で他の企業7社(大手自動車メーカーT社、コンピュータ大手I社、警備会社大手S社、TV局F社、広告代理店D社など)と毎週東京で会合を持っていたことがあり、その打ち上げにゴルフをしようということになりましたが、当社内では会社の金で行かせてもらえそうになかったので自腹で参加したことがありました。ゴルフだったら自腹で参加することも厭いませんが、会社には定例の会合で出張していることになっており、ゴルフをしていたことは内緒でした。場所は、千葉県のオークヒルズCCで、シニアのトーナメントが行なわれたりしたコースです。さすがになかなか良いコースでした。そこは成田空港に比較的近いところにありました。実はその日、千葉の幕張で当社の役員クラスの定期会議が行なわれるのを事前に聞いておりましたので、社長秘書に、社長以下役員はその日、どのルートで大阪へ帰るのかを確認しておりましたが、それによると、午後に成田から大阪(伊丹)へ飛ぶ便は夕方遅くの1便しかなく、社長以下役員はもっと早い時間に羽田から大阪へ帰るとの情報でしたので、自分は成田から伊丹の便で帰ることにしました。ひょっとして、どこで誰と顔を合わせるかわかりませんから。オークヒルズCCでお忍びのゴルフを終えた後、バッグを担いで成田空港に到着しました時、念の為、キャップを被りサングラスをして搭乗手続きをしていましたが、サングラスは余計目立つことに気付き、これは外しました。そして、待合の搭乗客に顔見知りがいないことを確認し、安心して機内に乗り込みました。座席は最も前部の席で、そこはその飛行機の構造上、全体から区切られた場所で20名くらいの座席があるだけの狭いスペースでした。そこの自分の座席にどっかと座って、飛行機がまだ動き出さない間にふと、斜め前の座席に目をやると、なんとそこには、会社のNO.2のK副社長が新聞を読みながら座っていました。ギョッ!として、更にそっと周囲を見回すと、少し後ろに海外担当のW専務(後、副社長)が!その他には、知っている顔は見当たりませんでした。どうも、このお二人だけが幕張での役員会の後、しばらく幕張に残り、この成田からの夕方遅い便で帰るようです。やっぱり、情報は完璧ではなかった!と、少々気落ちしました。W専務は自分のことは知らないでしょうが、K副社長には、名前は記憶になくとも顔は知られている可能性はあります。少なくとも、自社の社員だと気付かれる可能性はあります。慌てて、帽子を深く被り直し、こちらも新聞を取り出して読みふけっている風を装って顔を隠し、更にすこし窓の方へ顔を叛けていることにしました。そして約1時間そのままの姿勢で、大阪まで我慢して帰りました。伊丹空港についた後、彼らを含む周囲の乗客が出口に向かい、かなり去っていったあとでゆっくり座席を立ち外へ出ました。役員さんたちは、その後お迎えの車で帰っていったのでしょう。自分は、キャディバッグを受取り空港バスへ乗りこみました。
又、この頃、会社で同期入社のOS氏と一緒に労働組合主催の格安米国旅行に申しこんでおり、自分はアメリカでゴルフをやろうと目論んでいました。しかし、OS氏は根が真面目というか、自分ほどゴルフに熱心でないというか、せっかくアメリカまで行くのだからゴルフではなく観光をしたいと主張していました。せっかくアメリカまで行くのだからゴルフをやるんじゃないか と主張する自分と彼とは、所詮住む世界が違っていました(?)。結局、一人ででもオプションのゴルフを申し込もうかどうしようか考えている間に、その米国旅行の日程中に重要な仕事が入ってしまい、旅行をキャンセルせざるを得なくなってしまいました。せっかくパスポートまで取っていたのに.....。アメリカでのゴルフは、結婚するまでお預けになってしまいました。
そのアメリカでのゴルフプレイは、結婚して数ヶ月後の遅い新婚旅行の際、ハワイに立ち寄った時に実現しました。妻はゴルフはやらないのでその日はDUTYFREESHOPへ買物に行かせ、自分だけオプションで申しこんでいたゴルフへ行きました。オアフ島のワイケレGCというところでしたが、日本人観光ツアーご指定のコースのようで、日本人だらけ。前の組も後ろの組も日本人で、これなら日本でプレイしているのと雰囲気は同じ。自分の組は、新婚カップルとの3人プレイ。旦那は少しはやっているようで下手だが進行に支障はない程度ですが、奥さんの方は初心者で今回が初めてのラウンドのようで、旦那が手取り足取り教えるものの、プレイが遅くイライラしてきます。でも新婚旅行なので大目に見てあげましたが、日本のコースで一緒になってたら、「まず5,000球練習してからコースに出ろ!」 「打ったら走れ!」と怒鳴りあげてるところでした。さて、ハワイは火山で出来た島だけあって、ゴルフコースも地面は赤土。歩いていると靴はすぐに土で赤く汚れます。でも、その赤土の上に見事に芝が生えています。風光明媚で遥かにパールハーバーが見えました。そして風がめちゃ強い。ロングホールでもフォローの時は、ドライバーのティショットの後セカンドを5番アイアンで打ったらキャリーでグリーンをオーバーするほど。一方、その折り返しのミドルホールではアゲインストになりますが、ティショット・セカンドとウッドを使ってもまだグリーンに届きません。その時は当然貸しクラブでプレイしたのですが、何とこの時のドライバーが自分にとってはとても使いやすい(振り易い)クラブでした。ずっと自分に合うドライバーを探し求めて悩んできていましたが、このハワイのゴルフ場の貸しクラブが自分にこんなに合うなんて。ブランドは知らない名前で、多分安物なのでしょうが、これを買ってでも持って帰りたいくらいでした。でも、結局、それっきりにしてしまいました。初めての海外ツアーは43・44=87とまずまずの成績でしたが、これもフィーリングのピッタリあったクラブのお陰でした。このハワイでのプレイの途中、進行が遅れ前がつまってきた時に、突然、リー・トレビノのようなおっさんがカートに乗って現れ、急ぐように催促に来ました。いきなり現れ、自分がフェアウェイから打つと「グッド・ショット!」と叫んで、その後も英語でホニャホニャと叫んで(多分、プレイを急げと言ったと思います。)、前の組の方へカートを走らせていきました。
結婚してからは、なかなか遠征に出かける機会はありません。お忍びでは、最近、夏に東京でのイベントの為の長期出張の合間に栃木県まで足を伸ばし、矢板市の事業所に勤務する元部下のYN氏(栃木県在住奈良市民)と栃ノ木CCなるところでラウンドしました。関東でのラウンドはオークヒルズから2回目でした。栃木のゴルフ場はプレー費は安く予約はすぐに取れる上に、事業所の単身赴任者(栃木チョンガー)は他に娯楽が無いこともあってゴルフ三昧しているらしいです。うらやましい限りですが、ゴルフしか娯楽が無いのは、又、寂しい限りです。いくらゴルフ三昧であっても、栃木勤務は遠慮させて頂き度いものです。当日夕方に、又、東京のイベント会場へ戻り仕事をしましたが、真っ黒に日焼けをしているのを周囲の者に見咎められました。しかし、イベント会場の陽の当る場所に長く出ていた為だとごまかしておきました。とにかく、その時の東京も暑かったもので....。腕を磨く為に、又、色んなコースへ遠征に出かけたいと思っておりますが、その機会は今度はいつ訪れるでしょうか?
人間、自らの力ではどうしようもないものについてジンクスを信じるようですが、自分もゴルフでは結構、ジンクスを信じてしまいます。ゴルフでは本当に、自分を信じられないものですから。当たらない場合もあるのですが、つい信じてしまいます。他人には余り言いませんが、心の中ではよくこんなことを信じてプレーしています。けっこう、弱気なジンクスが多いです。
@プレー直前日の練習の調子はプレー日には反対の結果が出る。コースに行くことが決まれば、その前に練習に出かけます。1週間前かたまに前日に。でも、その練習の日に調子が良ければ必ず、当日は調子は悪い。反対に、練習で調子が悪くとも当日になると見違えるようにナイスショットを連発することがある。それによって得た教訓は、直前の練習で調子が良くても、本番で調子に乗ってプレーしないこと。調子に乗ると力が入ってうまくいかない。逆に、練習で調子が悪くても、くさらずあせらず、本番では平常心で頑張ろう ということ。
Aコースへ出る直前日には練習へ行かない。@と関連しますが、日曜にコースへ行く時、その前の土曜日はよほどのことが無い限り練習しません。前日に練習に行って上手く調整できても、次の日コースへ行くと調子が悪いことが多い。だから、出来るだけ前の週に練習に行き、前日には行かない。
Bプレー前の練習グリーンではボールをカップに入れない。一日にナイスパットが出る回数は、一定数が決まっているような気がする。なのに、そのナイスパットを練習で出してしまったらもったいない、コースで出るナイスパットの数が減ってしまうような気がする。練習グリーンで長いパットがうっかり入ろうものなら、「しまった!入れてしまった。」と悔やみます。同じ理由で、プレー当日はゴルフ場内にある練習場(打ちっ放し)へは行きません。そこでナイスショットが出たりしたらもったいないからです。
C午後のスコアは午前より悪い。だから、午前のハーフで既にスコアが悪いと、午後からはスタートする前から、気が滅入っている。しかし、この原因は、午前のスコアが良いと、午後からはもっと良いスコアを出そうと力が入ってしまうからだと思い始めています。
Dタイトリスト、赤のマックスフライDDH、ピナクル(今もあるのかな?)、キャスコのボールは使わない。過去このボールを使った時に調子が悪かった(良かった想い出が無い)だけです。ラウンド中にこの種のきれいなボールを拾っても、そのまま捨て置く。
E他人を乗せて遠くのコースに行った時は調子が悪い。他人を一緒に乗せて自分が運転して2時間くらいの遠いコースへ行ってプレーした時は、調子が悪かった想い出ばかりあります。1時間程度なら影響は無いようですが、それ以上遠くへ行く時は、同乗者に運転してもらいます。
F偉い人と初めて一緒にラウンドするとスコアが良い。これは、緊張感をもって慎重にプレーするからだと思います。でも偉い人でもへたくそだったら、スコアは良くないです。やっぱり、緊張感に欠けるからなのか?
Gスパイクが緩んでいたらショットが悪い。ドライバーの調子が悪い時に、ふとシューズのスパイクを見ると1本だけ緩んでいたりする。「そうか!このせいだったのか。」と自分で勝手に決め付けて、そのスパイクを締めなおしてその後プレーする。本当は、緩んでいたスパイクの部分は、ショットには殆ど関係無かったりするのだが。
HSM氏と一緒に回るとスコアが悪い。SM氏は、初心者の時に一から教えてくれたお師匠さんですが、この人と一緒にラウンドすると何故かスコアが悪いです。SM氏は、別にマナーが悪いわけでも、口が悪いわけでもないのですが....。無意識のうちに、お師匠さんに、いいところを見せようと思ってしまうのか?お師匠さんを上回るスコアを出そうと気負ってしまうのか?自分ではそんなつもりはないと思うのですが、なぜか、スコアが悪い。きっとSM氏には、「少しも成長しとらんなあ。」と思われているかも。やっぱり意識してる?
子供の頃、買ってもらったラジカセに自分の声を録音し、それを再生して自分の声を初めて聞いた時のショックは今も忘れられません。初めて聞いた自分の声は、普段しゃべっている時に同時に自分の耳で聞いているものとかなり違っていました。録音されている声は自分の兄にそっくりじゃあありませんか。えっ?自分の声は、実はこんな声....!?とかなりショックでした。もっとさわやかでかっこいい声だと思っていたのに、あの兄と同じ、くぐもった声だったとは...と愕然としたものです。そして、血の繋がりの奥深さをあらためて感じたものでした。実の兄とは言え、顔を声も性格も殆ど違うとばかり思っていたものですから。
それと同じショックを自分のゴルフスイングを写真やビデオで見た時に受けたのです。それまでトッププロのスイングを色々と研究し、特にダウンスイング時に腰で引っ張る打ち方はおそらくプロ並みの感覚だし、スイング自体、テレビのゴルフ番組に出てくる素人のおっさんとは全く違うはず と固く信じて疑いませんでした。あれは法隆寺カントリーでのこと。スタートのティショットの時に、ゴルフ場の従業員か写真屋の手先と思われる兄ちゃんが、アドレスの正面からカメラで写真を撮っていました。そして帰り際に、朝とった写真をクラブハウスで売っていました。スイングの連続分解写真で、値段は1,000円以上したはずで、結構高いな!と思いましたが、自分のスイングを一度見てみたかったので買ってみたところ、「なんじゃ!このフォームは!?」と、瞬時に鳥肌が立ったのです。この写真をとった時のティショットは、結構ナイスショットだったので、さぞかしいいフォームで打っていただろうと想像していただけに、ショックはカウンターパンチそのものでした。
トップまでは特に問題無いものの、ダウンスイングに入りインパクトまでに手首のコックが早くほどけ腰のあたりで腕が一直線に伸びてしまっています。これではインパクトでクラブヘッドが走らず距離が出ません。手首のコックは出来るだけインパクトの直前まで緩めずにクラブを振り下ろし、腰のあたりではまだ手首が「く」の字になっているのがプロのフオーム。インパクトの前です早くコックをほどき手首を返すことによってヘッドスピードを高めてボールを打つとよく飛ぶのです。でもこれが素人にはなかなか難しく、この後、それを結構練習しましたが、結局身につきませんでした。意識して手首のコックのほどきを遅らせてクラブを下ろしてくると、インパクトで手首をこねるようになり、うまくボールをヒットできません。プロはやはり相当数のボールを打ちこんで、フォームを固めているのでしょう。すぐにこの矯正はあきらめました。手首のコックのほどきは自然に任せることにしました。自分には、距離よりもうまくミート出来るかどうかの方が大問題ですから。
そして自分のスイングフォームで最もかっこ悪く思えたのは、インパクトからフィニッシュにかけてです。理想の形は、ボールをヒットしたあと腕が飛球線方向にぐっと伸びて、その後、勢いで体が逆Cの字形に湾曲し、最後はグリップが左肩の上に収まって左足一本の上に体全体が載って止まるというものです。プロでもトップアマでも、又、アベレージアマでもフォームのいい人は、皆なこんな感じに収まっています。こういうフィニッシュでナイスショットできれば、まったくプロのように見えます。しかし自分のスイング写真でフィニッシュの部分を見てみると、インパクト後すぐに、両腕の肘が折れ、腕を胸の前で折りたたんでしまい、小さなフィニッシュになっていました。おそらくこれは、ボールにクラブを当てることだけに神経が走り、クラブがボールにあたればもうスイングは終わり という打ち方であり、クラブを振り抜いていない証拠でしょう。遠くへ飛ばすには、インパクト前よりインパクト後のスイング速度が速い方が良い とかつて本で読んだことがありました。即ち、トップからクラブを加速させて振り下ろしていきますが、ボールにヒットした後もまだしばらくはクラブが加速されていく方が、ボールは飛ぶらしいです。アマチュアは、インパクトの瞬間か又はインパクト前にヘッドスピードのピークが来てしまう。プロはインパクト直後にヘッドスピードのピークが来る。これで飛距離に大きく差が出るそうです。(本当かな?) おそらく自分も、ボールにクラブを当てることにばかり気がいき、振り抜く打ち方になっていなかったのでしょう。これは、バックスイングがオーバースイングになると起こりがちです。トップをやや浅くすると、ボールをヒットした後もまだクラブは加速されて、フィニッシュも高く決まることを発見しました。
連続写真を見てショックを受け、しばらく、以上のようなことを意識して練習してから、今度はムービーで自分のスイング撮影し観てみました。しかし、基本的に、これまでの妙なスイングは殆ど修正されてはいませんでした。それから、永く自分のスイングを観ていません。又、見てみたい気もしますが、前と同じだったらショックが大きいので、怖くて見れません。
ゴルフを始めて十数年がながれました。時は流れても、又、練習へコースへと足繁く通っても、スコアで言えば90〜95あたりで停滞してしまい、進歩が見られない状況が続きました。調子が悪いと100台を叩くこともよくありました。何かこの状況を打開する方法はないか?もう自分のゴルフの成長もここまでか?と悶々とした日々を過ごしました。クラブを買い替えるということも考えましたが、停滞の原因はクラブのせいではあるまい。フォームやグリップやスタンスなど色々と試行錯誤を繰り返し色んなことを試してきましたが、あまり色々といじくり過ぎたのではないか?それで結局、身につかなかったのではないか?そんな自問自答をしながら、打開策を考えていたのが35〜6才の頃です。そこで、今までの価値観をガラリと変え、一からゴルフへ取組み直してみようと思い立ちました。これまでの十年以上の月日は何だったのか?とも思いましたが、ここで大きく方向転換してみようと決意したのです。
方向転換とは、大きくひとつ、小さくひとつの計2つあります。大きい方向転換とは、打法を完全にミート重視・方向性重視に切替えたこと。即ち、どうすれば、キッチリとミート出来るかに全ての体の動きを集中することでした。その代償として、見た目はますますイビツなフォームに多分見えたでしょう。又、ショットの飛距離が大きく落ち、普通の体型のサラリーマンゴルファーと同じ位になってしまったことです。でも、何とか変なあたりをせずに、OBを減らし、スコアメイクを追求することにしました。その時に改造したスイングとは、いわゆるハーフスイングと呼ばれるものに近いスイングで、左肘を伸ばし気味にしてバックスイングし、しかもトップのグリップの高さはせいぜい肩の高さまで。非常に小さいバックスイングにし、アドレス時とインパクト時の手の戻りの誤差を極小化しようとするものでした。とにかくクラブの芯にボールを当てることだけに徹しました。小さいスイングでも、スイートポイントに当れば、そこそこの距離は出る。非力な女子プロでも正確にさえ打てればパー前後で1Rを回ってくるわけですから、距離なんて求めず、キッチリヒットするだけに徹しようということです。スイングが小さく、ボールにクラブを当てるだけの打ち方でしたが、アイアンのミート率は高まりボールの方向と距離は非常に安定してきました。最初はトップで非常に違和感がありましたが、それを敢えて我慢して小さなスイングを続けました。ゴルフ自体はあまり面白くなくなるかと懸念しましたが、結局、これでスコアがまとまり出すと、これはこれで楽しいものでした。
もうひとつの小さな変化とは、アドレスも少し変えたことです。小さい変化ですが実はフィーリングは大きく変わります。どう変えたかというと、アドレス時にクラブのソール(底)を地面から少し浮かして構えるようにしたのです。地面から浮かせるか地面に付けるかはプロでも両方います。J.尾崎は着けていますし、丸山や倉本は浮かしています。浮かしている人は、クラブの重さを感じて振れるのでその方が良いといいます。自分はそれまでずっと、地面に着けていました。着けていないと、クラブがフラフラし、同じスイング軌道で振れないような気がしていたからです。特に、アドレスから始動しクラブを右方向へ引き上げる時に、一定の引き方が出来なかったからです。しかし、クラブを地面に着けていると、ややもするとクラブを押さえ気味に、地面に押しつけた形でアドレスしてしまうことが時々ありました。そういう時は当然ダフってしまいます。ドライバーでもダフることがタマにありました。今回は、このダフリをしないことを最優先し、思いきって、ドライバーもアイアンもアドレス時にソールを浮かしてやっていくことにしました。「同じミスでもトップなら、距離が多少は出るのでまだいい。でもダフリは徹底排除する。」これが考え方です。従って、クラブを浮かせてアドレスし、小さなバックスイングでボールをクリーンにヒットするスイングに大きく変更したのがこの頃です。これなら、若い頃のようにショットの飛距離を求めることは出来ないが、確実にボギーであがれスコアも90前後で安定してくるだろとの読みがありました。こういうのを「おじんゴルフ」と言うかも知れませんが、とにかく90くらいでスコアを安定させたいとの一意で、スイングの大改革を行なったのです。その結果は.....やはりスコアは安定してきました。特にアイアンはハーフスイング的な打ち方が馴染んできて、結構正確なショットが出るようになり、パーオンする確率もあがってきました。タマにソールを浮かし忘れダフることもありましたが。一方、ドライバーは、ソール浮かしは慣れてきましたが、小さなスイングがなかなかできません。やはりシャフトが長いからか?タマに出来ても、次にラウンドした時はうまく出来ない、即ち、オーバースイング気味にクラブを振り上げてしまいます。その方が体は楽ですが、ショットは安定せず、OBもよく出ました。
この頃、ちょうどPINGのメタルドライバーを新たに購入しました。アイアンもパターもPINGなのでドライバーも同じにしたかったのですが、当時PINGはメタルヘッドのドライバーの発売が他のメーカーよりも遅かったのです。PINGを製造するカースチン社は「こだわり」で有名なメーカー。それだけに、メタルウッドへの切替えが遅く、世間がすっかりメタルに変わってからようやく発売したわけです。それから数年が経っていましたが、PINGのメタルウッドはアイアンと同じで、こだわり派らしく他のメーカーのものとデザインが違い、シンプルで無骨なヘッド形状でした。それが又、通好みなのですが....。そして、PINGのクラブは、元々やや高めの値段で、また普段は値引きが少ないメーカーでした。しかも当時は、メタルウッドと言えばテーラーメイド社がトップブランドでしたので、自分も高い金を出してまでPING買わずにテーラーメイドを使っており、PINGはバーゲン狙いでした。でもPINGのウッドは元々取扱い店や品揃えや在庫が少ないので、バーゲンに出ることも少なかったのです。それがタマタマ、実家がある大阪のジャスコのスポーツ用品売場で1本だけバーゲンで定価の4割くらいで売られているのを見つけました。即決で衝動買いしてしまいました。クラブは使ってみなければ自分に合うかどうかはわからないものですが、飾りでもいいからPINGのドライバーを持っておこうと思っていたので、格安だったので買ってしまいました。早速これを練習場で打ってみると、グリップの形状や太さ或いはクラブの重さなど、当然今まで使っていたものと違うので、違和感がありましたが、しかし、クラブの振りぬきの良さは、今までのメタルドライバーに比べ抜群でした。ドライバーはクラブの中で最もヘッドの大きなクラブですが、ヘッドが大きいと振る時に空気の抵抗を受けてスムースに振れないように思えてならなかったのですが、PINGのドライバーは非常にスムースに振りぬけるような気がしました。多分、この要因は、PINGのヘッドが他のクラブよりシャローフェイス(ヘッドが平べったい)であることと形状が流線型であることから空気の抵抗が少ないからなのでしょう。グリップはあまりフィットしませんでしたが、振り抜きが良いことでこのPINGのドライバーが気に入りました。これでドライバーもアイアンもパターも全てPINGとなり、それを収めるキャディバッグと併せ、完璧にPINGづくしになり、内心ご満悦でした。でも、振り抜きは良いものの、このPINGドライバーでも、小さなスイングはなかなかこなせませんでした。それに、しばらくして気がついたのですが、このPINGのメタルドライバー、ボールがあまり飛ばないようでした。飛距離はもう追っかけないことにしていたので、PING揃えを最優先しこれからこのドライバーを使い続けることにしました。でもやはり、打ち易いドライバーはこの後も探し続けることになります。
自分はゴルフコースへ行ってプレイしても、それぞれのホールについては、余り記憶に残りません。2回3回といっても、そのホールへ来てようやく前にきた時のことを思い出す程度で、普段、あのコースの何番ホールは....と言われても、どんな造りのホールだったかは、なかなか思い出せません。そんな自分が関西を中心に行ったゴルフ場で記憶に残っている変わったホールを覚えている限り順不同で思い出してみたいと思います。
和歌山県の海南GCだったと思います。とにかく長いロングホールがありました。600Y以上あったと思います。山波の頂上部を削って造ったコースなので割合平坦で真っ直ぐなホールなので正味600Yあります。ロングホールでも短いところでは450Yもないホールもありますが、ここは流石に長かった。600Yといっても、特に意識せず、Dで230Y、セカンドで200Y、残り160〜170Y打てればパーオンできる理屈なのですが、やはり人間、距離があるだけに少しでも飛ばそうと欲が出るのがいけません。飛ばそうと思うと力が入って芯に当らず、余計に距離が出ない。それを実証するかのように、その時はティショットからミスを連発し、右や左の旦那様を繰り返し、グリーンに載せるまで5〜6打かかったと記憶しています。確か30歳くらいの時で、若気の至りでした。先日は、バックティから587Yのロングホールを4オン2パットのボギーであがれました。これも年の功か?
短いホールと言えば、関西軽井沢だったか室生ロイヤルだったか、案の定覚えていませんが、ショートホールでこんなホールがありました。距離は80〜90Yで、すごい打ち降ろしホール。ティグランド直下にグリーンがある。普通に打ってはグリーンの遥か向こうに飛んでいきます。ウェッジでほんのアプローチをする感覚で打ってグリーンに止まる程度。でも、これが中々合わない。パターで打って崖を転がしたら丁度いいのではと思いますが、さすがにそれは出来ないように、手前の崖には樹が植えて転がせないようにしてあります。こんなのゴルフか?ショットか?
テレビで特にアメリカのトーナメントを観ていると、よく見かけるのが、池に囲まれたショートホール。しかもグリーンエッジから外はすぐに池になっています。こんなホールに出くわしたことも。日本でもかつてトーナメントが行われていた宇部CC万年池西コースのショートホールにはまさにこんな造りでした。又、どこだったか思い出せませんが、ミドルホールのグリーンが池の中にあるホールでもプレイしました。プレイの内容を余り覚えていないので、大叩きせずに上手く対応できたのではないかと思いますが。
関西でよく行ったのが奈良にある八重桜CC。ここの18番は短く狭いロングホールですが、220Yほど平坦でそこから先が急な下り坂。坂を下って平らなところに大きな小山(何じゃそら。)がでんと居座っています。ティショットが飛ぶと坂の途中で止まり、セカンドショットは左足下がり。で、その先に小山があり、グリーンがスタイミーになります。ロングアイアンを抜いて2オンを狙っても左足下がりの為、ボールが上がらず、直接グリーンを狙うと小山にボールが突き刺さります。やむなくグリーンに届く距離でも小山の左方向へ刻みまが、左を狙い過ぎるとOBゾーンがあり、これもやっかい。ま、けったいなホールのひとつでしょう。
大体、迷物ホールと言えば、トリッキーに出来ているホールが多いものです。地形上、無理やりつくってあるホールだったりします。それをキャディは、「ここはこのゴルフ場の名物ホールです。」などと自慢気に紹介したりします。それを聞くとムカっときます。諺に「名物に美味いもの無し」というのがありますが、まさにそれはゴルフ場にこそ当てはまるものでしょう。
この章は、思い出す度に書き加えていきます。
ゴルフを始めた1982年頃の男子のトッププロと言えば、サイボーグ中島常幸、世界の青木功、そして関西のドン杉原輝男などでした。特にこの頃から中島常幸が一世を風靡し、年間最多の10勝をあげたりします。青木功も、勝負師として結構、優勝していました。1980年に全米オープンでジャック・ニクラウスと死闘を演じて2位になったり、世界マッチプレーで優勝したりし、すっかり世界的にも知名度があったりしました。その頃、ジャンボ尾崎は不調に喘いでおり、復活してくるのはまだ数年先のことです。
杉原輝男は当時まだ40歳台後半でしたが、すっかりベテランで既におじん扱いされていました。でも、関西だけのトーナメントはもちろん、全国的なトーナメントでもしばしば優勝しており、現役バリバリでした。しばらくすると50歳のシニア入りをしますが、シニアツアーではなく現役にこだわってプレーを続けてきています。関西ではその他に、おっさん顔の中村通、日本一華麗なフォームの山本善隆、そして一回だけ狂い咲きで賞金王になるもマスターズから招待状の来なかった前田新作などが頑張っていましが、やはり杉原が関西NO.1でした。ベテランだけにパターやアプローチなどの小技が上手いのはもちろんですが、ドライバーの正確さでも日本の3本の指に入ると言われていました。ある試合での解説者(名前は失念)によると、そのベスト3とは、杉原、尾崎建夫、そして矢部昭 とのことでした。尾崎建夫はジャンボの弟ですが当時売り出し中で、よく飛ばすわりにコントロールも、当時はよかったようです。矢部昭とは、日本オープンも制したトッププロで、細い体のベテランです。最近は余り名前を聞きません。体を壊して引退したとか。
その頃の売出し中というと、大卒三羽烏のポパイ倉本昌弘、レフティ羽川豊、そして湯原信光でした。倉本は日大時代にブイブイ言わせ、和歌山オープンではプロに混じってアマチュアで優勝したというツワモノ。ちっさい体を筋肉質に鍛え上げ、コンパクトながら全身を使ったスイングとロブショット中心の小技の上手さ、ドライバーもパターも構えてすぐに打つ小気味よいゴルフでメキメキ力をつけていきました。全英オープンで日本人最高の4位に入ったことも。羽川豊は専修大卒のレフティ。新人で日本オープンと日本シリーズを制し翌年のマスターズに出場、日本人最高の8位に入り日本最強のレフティと呼ばれましたが、その後パットに悩みイップス病で低迷します。この二人に比べると湯原信光は地味ですが、日大出身で綺麗なフォームに定評があり、活躍していました。
この頃、尾崎建夫はまだデビュー間もない頃でしたが、恵まれた体を柔軟に使った豪快なスイングで、ドライバーの飛距離は兄をも凌ぐと言われていました。兄貴と同様、徳島海南高校で野球をやっており、ヤクルトにドラフト指名されたそうですが、兄を頼って上京しゴルフを始めて3年でプロテストに合格。その後、米国に武者修行に行きましたが、成績は今イチで日本に帰ってプレー。その後かなり勝ち星をあげますが、勝負どころでの小技・パットが下手なので勝ち星を結構落としており、又、その後腰を痛めたり、パットのイップス病にかかったりして、今では弟にも水を開けられています。末弟の尾崎直道もこの頃はまだプロに成りたてで、ようやく関東プロで優勝争いに顔を出しますが、青木に逆転負けしたりし苦労します。しかし、その後腕を上げ、永久シードに入るくらいのトッププロになりました。一方、長兄の将司は、かつて70年代に一世を風靡しプロゴルフ界を席巻していましたが、この頃はすっかり調子を落としており、スイング改造に取り組んでいました。この頃、よくドライバーでOBを連発しており、年間の勝利も千葉オープンと広島オープンの1〜2勝くらいで賞金ランキングも10位前後をさまよい、弟たちにも抜かれていました。彼はかつての甲子園優勝投手で、プロ野球を2年くらいで断念しゴルフ界入りしましたが、その頃に俄か仕立で覚えた豪快なスイングが歳をとるにつれ体に合わなくなり、スイング改造に取り組んだということですが、数年後に見事に復活し、その後10年くらい賞金王をとりつづけます。でも、国内では無敵のジャンボも海外へ行けばからきしダメで、何回も日本人ゴルフファンの期待を裏切ってくれます。
その頃によくテレビに映っていて印象的だったのは、カラーボールを流行らせた出口栄太郎、素人っぽいスイングの鹿児島人の吉村金八、日本オープンで深いラフからのアプローチで二回空振りして話題になり奥さんをキャディにしていた鈴木弘一、その鈴木に日本オープンで勝った上原宏一、台湾のベテランでガニ股アドレスの謝敏男、志明・志忠の陳兄弟、オーストラリアの渡り鳥グラハム・マーシュにブライアン・ジョーンズ、杉原輝男の弟子の小林恵一、ベテランでカミソリショットの安田春雄、長身で前屈みの窮屈なアドレスで打つ青木基正、アデランスのCMに出ていたアイアンマンこと新井そ規久夫、8の字スイングの藤木三郎、マッチプレーでジャンボの天敵の高橋勝成、でかい顔の高橋五月、ぶさいくな女子プロが奥さんの須貝昇、日系ハワイ人でプレーが遅いデビッド・イシイ、うちの会社に従兄弟がいた秋富由利夫、野球の中畑清と駒澤大学で野球を一時やっていたコング飯合肇、結構実力者の横島由一、倉本と日大同期の牧野裕、日体大出で素人くさいシャンクをTVで二回観せてくれた室田淳などなど。ここらまでは自分より年齢が上。同年齢では日大出身の大町昭義、結構年上でコブつきの女性が奥さんの白浜郁雄。ひとつ下には、兄貴がタケシ軍団の芹沢信夫、元不良だが涙もろい横山明仁、でかい体の加瀬秀樹、日大出身のエリートの金子柱憲、東聡。同じく日大出身では木村政信、米山剛、田中泰二郎と続き、夏目雅子の弟の小達敏昭(?)、川岸良兼へ至ります。ちなみに、高橋勝成・藤木三郎・金谷多一郎も日大出です。
当時はシード選手が40名の時代でした。結構、個性的な選手がいましたし、スイングを影絵で見れば誰かわかるくらい、それぞれにスイングが微妙に違っています。でも、皆なさすがにトッププロだけあって、やっぱり上手かった。80年代は、中島常幸の時代でした。しかし、80年代後半に中島は米国ツアーに進出し、外国人と互角に闘う為にスイング改造に着手、野球界出身という後藤修なる胡散臭いレッスンプロに習ってドロー打ちに取り組み、結局このスイング改造に失敗しその後永く低迷を続けます。中島の低迷と機を同じくするようにジャンボ尾崎がスイング改造に成功して長い不調から脱し、その後90年代は尾崎将司の第2期黄金時代が続きました。その尾崎もようやく老眼とか痛風とか体が老化現象に苛まれはじめ、90年代末期には尾崎直道や丸山茂樹が台頭し、2000年頃からは、谷口徹、伊沢利光、片山晋吾など30歳前後のプレーヤーが活躍しています。でも、もう一度、尾崎や中島の優勝を観てみたい気がします。
トーナメント中継といえば、ここ20年間、毎週日曜日の大きな楽しみ。そしてトーナメント中継と云えば、ゴルフ解説のおっさんたちが、いつも物知り顔で出てくるものです。しかし考えてみるとここ20年間、ゴルフ解説者の顔触れは殆ど変わっていないのではないでしょうか?解説者には、プロゴルファーとそうでない人とに別れます。プロではない解説者のビッグ3と言えば、戸張捷・大西久光・岩田禎夫です。最近は、NHK・BSの米国PGA中継で佐渡光高なる人物がレギュラー解説をやっていますが、このおっさんは一体何者なのかは知りません。戸張捷・大西久光はダンロップ・エンタープライズの社員で。(今は重役?)ダ・エ社とは、ゴルフ用品メーカーのダンロップの子会社で、ゴルフトーナメントの企画・運営の代行をやる会社。大西氏や戸張氏の肩書きは、トーナメントディレクターと云うらしい。
戸張捷はその中では若手だ(だった)けれど、結構よくしゃべり、自分はよく知っているぞ・ゴルフ通だぞというのが表に出るタイプ。プレーヤーの心の動きを勝手に決めつけて話したり、米国の昔の有名なプロゴルファーの逸話等の知識をひけらかすので、彼を好まないゴルフファンも多いです。テレビ朝日系のゴルフ中継によく出てきますが、トーナメントでは、全英オープン、ジーンサラゼン・ジュンクラシック、フジサンケイクラシックなどがレギュラー解説。又、女子プロでは、富士通レディースなども解説しています。これらのトーナメントはきっとダンロップ・エンタープライズが企画しているのでしょう。彼は、慶応大学出身で、ゴルフ自体もHDCPは2(随分前の話)だそうで、TV中継を見ているアマ・ゴルファーの大半よりは腕はいいと思いますが、でも、その話し振りは鼻持ちならないところ無きにしもあらずなのは確かです。顔はなかなかスマートな感じですが、ちょっとでか顔。
一方、同じダンロップ・エンタープライズの重役大西久光氏は、戸張よりはもっとソフトで穏やかな感じ。彼の定番は、ダンロップ・フェニックストーナメント。やはり主催試合の解説は、戸張ではなく先輩の大西が承るのか?
そして岩田禎夫氏。昔から、おっちゃんだったけれど、今はおじいになったようです。彼の本職は何なんでしょう。でもマスターズのレギュラー解説者であり、国内では男子のカシオワールドの他、女子のミズノクラシックなど結構、幅広く出てきます。解説はソフトタッチですが、マスターズの解説をやるだけあって外国の一流選手を礼賛すること甚だしいところは戸張捷に似たところがあります。
そしてベテランプロゴルファーで、解説によく出てくるのは、ビッグ・スギこと杉本英世、NHKに出て来る金井清一、最近は余り見ませんが村上誠一(?)。杉本英世はちょっと舌が短いような話し方ですが、技術的な話は正確。金井清一はNHKのレッスン番組をやっていたのでNHKが放送する日本オープンの解説でお馴染み。今でも現役だけに、解説はグッド。村上氏は、かつて1年間に日本のメジャータイトル4つに全部優勝した唯一のグランドスラマー。彼の技術的な解説も参考になります。最近は、若手(と云っても40歳台)の大町昭義や羽川豊などが解説者入りしていますが、彼らにはまだまだ現役でバリバリやってもらいたいものです。
さて、プロゴルファーとそうでない人と、どちらが解説者としておもしろいかと云うと、どちらにもいい面があります。プロの解説は、やはり技術面の解説や場面場面でのプレーヤーの心理、ホールごとの攻め方は、リアル感や説得力があっておもしろいです。それに、たまに中継でプレーヤーズゲストなる名称で、その日の試合を終えた選手が、短い時間ですが解説者に呼ばれることがあります。彼らの話も興味深くおもしろいです。一方、戸張捷氏や岩田禎夫氏などの昔からの定番解説者の話は、技術的な面はあまりありませんが、さすがに色んな周辺知識を身につけているだけあって、その話はプロの解説者とは別な面白さがあります。
又、解説者とは別に、ラウンドレポーターなる人が最近は増えてきています。彼らはツアープロとしては無名だけれど一応プロであるということで、コース内でのレポーターをやっています。最もテレビ放送で出てくるビッグ3は、日吉定雄、沼田聖一、そして○○○(名前忘れた)。最近では、羽川豊、田中泰二郎、大町昭義などの元トッププロも。でも、解説者がいれば、ラウンドレポーターは別に要らないと思いますけど......。マスターズ、全英オープンなどの世界のメジャー大会になると、ラウンドレポーターも、全英は青木功、マスターズは中島常幸などが最近は出てきます。青木はともかく、中島は、ラウンドレポーターなどやってずに早くマスターズに復帰してもらい度いものです。
女子プロと言えば、なかなか可愛い娘・美形はおりません。シード選手クラスでこれまで、ちょっとはましだと言われていたのは、古手では、日陰温子・森口裕子・生駒佳与子あたりで、ちょっと異論はあるが吉川なよ子、樋口久子もまあ入れとこか。そのクラスから少し若くなると(今ではもう若くないが)、村口史子、松沢知加代、天沼あたりか。最近では、東尾理子も可愛い部類?
歴代本当に強かった女子プロは、とんでもないのが多かった。「天は二物を与えず」とはよく言ったもので、岡本綾子・大迫たつ子、福嶋晃子、若手の不動裕理、台湾のトウ(漢字が出ない)阿玉などなど。特に台湾・韓国勢は全滅で、黄壁恂、黄月琴、高又順....具乙姫はちょっとましか。どうしても勘弁してほしいのは、高村亜紀、永田富佐子、井上陽子、木戸富貴、安井純子、島袋美幸、原田香里などなど。名前は可愛らしいのを親につけてもらっているが、これに惑わされてはいけない。TV放送の上位ランクに名前が出てきて期待して観ていると、カメラに映った途端、ガックリきてしまう。
その点、アメリカの女子トーナメントはキレイな或いはカワいいプロが結構いる。ローラー・デービスは別にして、カリー・ウェブもちょっとしんどいが、まあ、その他はいいんじゃないでしょうか?かつては、ローラ・ボーなるアイドルプロもいたが....(古過ぎる?)。
おっと、この章のテーマは、こんなことではなかった!!
女子プロのトーナメントを一度だけ観にいったことがあります。確か、10年ちょっと前に有馬ロイヤルで行われたサントリーレディース。いくらプロだといっても女性には違いなく、筋力は男性には随分劣ります。それもあってドライバーの飛距離は当時のクラブとボールで190〜220Yくらいだったでしょうか。それでも18Hをパープレイ前後で回ってきます。ドライバーが飛ばず、セカンドショットで距離を残しても、フェアウェイウッドが実に正確。170〜180Yくらいを4番や5番ウッドでグリーンに載せてきます。それでグリーンを外してもアプローチとパットでパーを拾う。練習場でじっくり観てみましたが、クラブはヘッドスピードはないもののキッチリボールに当たっている。そしてボールはまっすぐに飛ぶ。我々男性アマゴルファーもボールを飛ばそうなどと考える必要無し。クラブがキッチリとボールに当たれば、力まなくてもパープレイで回るに必要な距離は出るものなんです、非力な男性でも。それよりも、いかに正確に、ボールにクラブフェイスを当てるかの方が大事なのです。
さらに、女子プロで感心するのは、ラフからうまくショットすること。バンカーやアプローチ、パターは筋力に関係ないので、豊富な練習量の女子プロが我々男のアマより上手いのはわかりますが、パワーが必要なはずの深いラフからでも、女子プロは上手くボールを打って出します。我々は、ラフに入ると全然打てず、ゴロになったりダフッたりして上手く出せません。そして力んでひっかけてOB...というのもしばしば。たかが伸びた芝じゃないか と思いますが、草を噛むと思うようにボールが飛んでくれません。非力な女子プロが何故上手くボールを出せる? 女子プロのプレイをよく観ていると、ラフに入ればちゃんとセオリーどおりにクラブを短く持って、コンパクトに振っています。おそらく、ボールとクラブとの間の草は最少限にしてキッチリとミートしているのでしょう。我々は、ラフに慣れていないこともありますが、ラフに負けまいと力んでしまい、余計、ボールにキッチリとクラブが当たらず草を沢山噛んでいるのでしょう。その違いによって、1Hで1打は違ってしまいます。
我々へぼアマは、どうしても男子プロをイメージしてプレイしてしまいます。より遠くへ飛ばそうとし、よりパワフルにクラブを振ろうとしますが、それが益々墓穴を掘ることを、ついつい忘れてしまいます。1日に1回か2回あるかどうかのパワフル・ナイスショットを夢見て、始終、力み返ってプレイしてしまいます。でも、スコアメイキング 及び ナイスショットの回数を増やすには、いかに力を抜いて正確にクラブを振るかが重要なのです。力を入れなくても、クラブヘッドの重みと男性としての普通の筋力で、女子プロの平均値をを十分超えるヘッドスピードは出ているのです。そして、ドライバーやロングアイアンの練習に随分な時間をかけるよりも、アプローチやバンカーショット、そしてパットの腕をもっと磨いた方が、ずっとスコアは良くなるのです。わかってるんやけどなあ.....。かわいらしいネエちゃんや、ぶっちゃいくなオバはんのような女子プロたちでも、我々と比べてアプローチ・バンカー・パットなんかメチャメチャ上手いんよねえ、ほんまに。
2001年4月から2002年1月まで栃木県で勤務し単身生活の下、ゴルフ三昧をしてみました。三昧といっても、月に1回関西に帰宅したり、長期休暇で関西に戻っていた以外の週の日曜日又は土曜日に、4〜10月の7カ月で17〜8回、朝のハーフのみ回ったのとショートコースを回った各1回を除くと16回ほど本コースに出かけただけです。でも帰省しない週の日曜日でゴルフをせずに過ごした日は、無かったかも知れません。何せ赴任した職場には、昔 同じ職場にいた独身のYK氏と単身赴任のKS氏がいたので、メンバーに事欠くことはありませんでしたので。
会社の敷地内の寮に住んでいたのですが、会社は栃木県の宇都宮市から北へあがったY市にあった為、出かけたゴルフ場は皆、栃木県北部の那須地方でした。最初に出かけたのは、正式に着任して1週間目、黒羽方面にあるゴールデンウッドというところ。丘陵コースで各ホールはどれも右か左にドッグレッグしています。1年前の夏にお忍びで1回、栃木でゴルフをやっていましたが、本格的には今日が初見参。いざ、出陣!! と言う程の意気込みでは無く、これからいやというほどこの栃木でゴルフをするであろうことを鑑み、又、クラブはアイアンを昨年夏に買い換えウッドも今年買い換えたばかり(いずれも、キャロウェイのホークアイ)であり、まずは小手調べと自分の課題の点検をしておこうというもの。よって、出だしのティーショットは力まず慎重にクラブを振ってみたら、まずまずの当たり。その後は、徐々に力が入り、いつもの調子に陥ってしまいましたが、1R86とスタートラウンドとしてはまずまずのスコアでした。ただ、その頃は、新しいアイアンの距離感がわからず、ナイスショットをしても、しょっちゅうセカンドがグリーンオーバーしボギー以上を叩いていました。この頃は、ボールもよく飛びそうなトブンダーUという非公認球に代えていたので、余計距離がわかりませんでした。でも、日曜日でも1Rで9,800円という格安の料金であり、本コースで練習/試し打ちするという贅沢なラウンドです。栃木にいる間、いくつかのボールを試してみましたが、このトブンダーUは本当に距離が出ます。ドライバーで10Y以上、アイアンでも5〜7Yは他のボールより飛びます。おまけにグリーン上でもよくスピンが効きます。今までいくらナイスショットをしても、バックスピンでボールが戻るなんてことはなかったけれど、クラブ(ホークアイ)とボール(トブンダーU)のどちらの要因なのか、両方の組み合わせによるものなのかは判然としませんが、6番以下のアイアンでは、バックスピンでボールが0.5〜1mくらい返ってくるようになりました。これはなかなか気持ちが良いものです。例え、ボールがカップの手前に落ち、バックスピンでカップから余計に手前へ戻ってしまったとしても....。ただ残念なことに、このボールは性能面で規格外の為、公認球ではないということです。
栃木では、原則、キャデーなしの乗用カートでのラウンドを選び、必ず1.5Rやりました。1Rの場合は出来るだけ18Hを通して回る....というパターンにしていました。1.5R回るなんて関西ではもう10年以上やらせてもらえませんでしたが、ここ栃木では簡単に出来ます。なんせ栃木県はゴルフ場が多く、東京からも客が東北自動車道でやってくるのですが、バブルがはじけたあとは、やはり供給過剰となり、日曜でもよく空いています。バブルの頃に当てこんで新設したり、デラックスに改造したりしたゴルフ場は、設備も新しく気持ちがいいし、その割に集客のため安い料金になっておりGOODです。栃木に本格参戦して2回目のラウンドは、そのバブルの跡が残る、そしてごく最近経営母体が変りコース名も変わったという、ザ・ミレニアムというゴルフ場でした。
ザ・ミレニアムはいかにもバブルの頃につくったと思われる、ガラス張りのオフィスビルのようなデザインのクラブハウスが一際目立つゴルフ場でした。そしてそこには、テレビ東京のビジネスサテライトでも紹介されていたナビゲーション付きのカートがありました。4人カートの前上部に液晶モニターがついており、そこにホールの平面図、現在のカートの位置、カートからグリーンまでの距離が表示されます。ボールの止まっている地点の真横あたりの道にカートを停めると残り距離が分かる仕掛けです。これを導入してキャディを無くし、より安い料金にして客を呼び込む方法だとビジネスサテライトで紹介されていました。又、料金の支払いは、現金は支払機に払います。一度潰れたゴルフ場ですが、こういう新しい方法で出直ししているようです。スコアは43・49の92。後半の49はドライバーが再びOB連発で、今後に不安を感じさせる内容でした。
その次に出かけたのは5月のゴールデンウィークの最終日。一日早く帰省から帰ってきてでかけました。栃木在住奈良市民殿が一度行ってみたいと言っていたニュー・セント・アンドリュースGC。名前を聞くと、英国の名門コースを彷彿させますが、会社の近くにある田舎コース。でも3コースある内のオールドコースなる9Hが本格的な戦略コースだとか。そのコースの予約がインターネットでとれたと栃木在住奈良市民殿がはりきっていましたが、行ってみると、インターネットと普通の予約のダブルブッキングのようなトラブルが発生。スタート前にで少々もめましたが、結局オールドコースでスタート。そのコースはクラブハウスから少し離れたところにあり、田畑の中を走っているモノレールに乗って行きます。予約のトラブルで今回は乗用カート無しの徒歩ラウンド。同じ組にはこのコースのメンバーというおっさん二人が一緒。このお二人は黒磯に住んでいるとか。我々の住むY市の方がこのコースにはずっと近い。一人は安定したフォームで結構上手い。もう一人は米国の中南米系プロのコーリー・ペイビンを彷彿させるやせ型パンチパーマの御仁で、ダウンスイングで腰を極端に引っ張り戻して打つ。でもそこそこのスコアで廻っていました。このコースはなかなか戦略的な造りになっており、正確なショットが必要でした。そしてグリーンの傾斜もきつく非常に速い仕上げになっています。同行のメンバーさんはコースを熟知しており攻めどころをよく知っているのですが、我々二人はこの結構難しいコースに初めてやってきて悪戦苦闘。ある強烈なグリーンのショートホールでは1オン5パットをしてしまいました。この9Hはパーが一つもとれず結局50を叩き、午後から廻った別のホールでは47で、計97。栃木在住奈良市民殿はそれ以上の大叩きで、朝のトラブルもあり、もうこのコースには二度と来ない と怒り心頭。でも自分は、このオールドコースには、もう一度チャレンジしてみたい気分でした。
翌週は会社(寮)から最も近いアローエースなるゴルフ場へ。クラブハウスまで車で10分とかからない近さ。でもここらではそこそこのグレードのコースで、会員権相場も他よりずっと高いのです。さすがにコースもマズマズ。しかし、後日、関東に住む会社の偉いさんF氏に「アローエースに行ってきた。結構いいコースだった。まあまあフラットで.....」と言うと、「関西のゴルフ場に比べるといいかも知れないが関東ではアップダウンが多く狭い方であんまり良いコースじゃない。」とのこと。「えっ?あれでアップダウンが多いのなら、普段はどんな易しいコースばっかり行ってるの。そんなことでは腕が上がりませんよ。」と言ってしまいそうになりましたが、すぐに、そんなこととても口に出して言える相手ではないので思い直しました。料金はこの近辺のコースより少々高いですがうなずけます。昼食はバイキングスタイルで一定料金の食べ放題。でもメニュー数はそんなに多くないので同じものを何回も取りにいって腹一杯食べることに。スコアは42・45・46とまずまず。しかしこのラウンドの後、会社での仕事の担当が変わり、思い起こせばそれが原因で、しばらく90が切れない不調の時期に突入していくことになろうとは、その時は予想もしていませんでした。
5月下旬には女子プロトーナメントが行なわれる那須小川GCへ。トーナメントをやるくらいだから結構、キレイで広広としたコースと思いきや、今まで行ったここら辺の他のコースとあまり代わり映えしないコースでした。コース内はレールの上を走る乗用カートで移動しますが、これがゆっくりしたスピードで移動します。イラチの関西人は早くボールのところへ行って打ちたいのですが、我慢我慢。ここら当たりの人のスピード感覚は、こんなものなのかな?何か最近、ドライバーの調子が下降気味で、スコアは47・45・45と今イチ。
そして6月に入ると、ドライバーは絶不調に。おまけにアプローチはダフリを連発。ダフリを怖がるとトップを併発。6月3日に喜連川CCなるところへ出動したものの、50・49=99と、スコアは急降下。ドライバーショットが急にとんでもないスイングになりヒッカケOBやプッシュアウトOBが出る、ドライバーが良くてもアプロ−チでダフる、バンカーからホームランする...などで、ダボ・トリがハーフで3つ4つと出てしまいました。そしてこのコースは右ドッグレッグが多く、その右方向は崖になっていて白杭がティグランドから見える。右へコスルとすぐにOBという好きくないコース。ここにはもう二度と来ないぞ。
この頃から栃木にも夏が訪れ、ゴルフをすると真っ黒に日焼けするようになりました。北の方へ行くと多少は涼しいかと、福島県境近くの那須グリーンコース倶楽部というところへ2週続けてでかけました。1週目、午前のスタートでまずパーをとり、出足良しと思いきや、2番でトリプルボギー、3番で+4ボギーと大たたきで、すぐに戦意喪失。その後もトリプル1、ダボ2と散々で、ハーフ52。くそっ昼からは!!と気持ちを切り替え.....たつもりが、午後も変わり映えせすに49。とうとう栃木へ来て100以上を打ってしまいました。ようしリベンジマッチだ と翌週、またまた同じコースへ。午前は何とか43にまとめ、午後のハーフも7番まで全ホール2パットで+5と我慢のゴルフを展開するも、8番ショートでOB&3パットのトリプルボギー、9番に至っては4パットのトリプルボギーと見事に崩れてしまい47。トータル90と、リベンジになったのかどうか判然としない結果で終了。
今週はKND氏は出張の為、YMN氏と2人でマーベルスターなるコースへ。ここもあまり好きになれない右ドッグレッグの多いやや狭いコース。YMN氏は好調に午前で38をマーク。それに引き換え、こちらは46・45の91と鳴かず飛ばず。ここも二度と来ないことにしよう。しかし今日も暑かった。
先週販売応援で千葉へ出張した為、二週間振りに2回目のアローエースに出動。3連休の最終日ではあるけれど、昨日の土曜は午後から出勤、今日もゴルフ後に出勤予定とさびしい限り。しかもこの頃は栃木で最悪の時期で、午前のハーフはドライバーをOB連発し前半5Hで+10を叩きハーフ49。午後は3パットのオンパレードで48。トータル97。今日は18Hで40パット。ドライバーだけでなく、パターもおかしくなってきた。とほほ....。
今週はこれも会社から近い25メンバーズ琵琶池コースなるゴルフ場へ、久し振りにKND氏・YMN氏と3人揃って出動。午前は相変わらずで前半の5Hで+10と大荒れ。しかし後半4Hではバーディ1つをとってパープレイと調子を上げ、トータル46。後半の調子を午後のラウンドに生かし、午後の序盤3Hで+1。午前から合わせて連続7Hで+1で、いい感じと思った途端に4H目ダボ・5H目トリプルが出て、結局午後は45でトータル91。あ〜永いこと90を切ってないなあ。
夏休みは奈良の自宅に帰ってゴルフはしばらくお休みしていましたが、盆明けに再び栃木に戻って出かけたのは、4月にこっちでプレイを始めたところのゴールデンウッド。当時は90を切っていたのに、今はとてもそんなこと望むべくも無し。この頃は仕事も最高に多忙な時期で、完徹・半徹が連日。それでも日曜は早朝より芝刈りへ。そして午後からは又、仕事へ。そんな中、2回目のゴールデンウッドでは、再び100(49・51)の大叩き。この時はパターも最悪。ハーフ9ホールで4つも3パットをする始末。長いパットは寄らない。短いパットは方向がぶれる。ついにパターのグリップを極太ものに付け替えることに。引越しのげん担ぎではないけれど、どうも会社から北東(辰巳)の方角のコースは鬼門のようです。
9月は初旬がすぎれば、下旬まで少し仕事が楽に。15日の土曜日兼祝日は、方向を変え、会社から東南の方角にある馬頭(ばとう)GCなるパブリックコースへ。すぐ向こうは茨城県?そして、方角が変わればスコアも変わるかと思いきや、49・49=98。何も変わってへんやないかい。やっぱり腕か?この日はKND氏が絶好調でついに100を切り、変わってYMN氏が最悪で100を超えるというオマケつき。でも、今日は土曜日で明日も休み。然らば明日もう一度ここへ来よう!と提案すると、他のお二人もそれぞれの思惑で賛意を示され、再び馬頭でバトルを展開することに。
翌日曜も又、性懲りも無く馬頭GCに現れた三人。自分は、昨日の98よりはいいスコアが出るだろうと密かに期するところあって、スタートホールから慎重にプレイ。前半は何とか大叩きのホールも無く、パー3つ、ボギー4つ、ダボ2つの44をマーク。午後も午前以上に慎重にプレイ。しかし、途中、5番ホールのパー4でついに8を叩く。しかし、この後は粘ってバーディも一つとり、43にまとめ、久方振り(4カ月振り)に1R90を切る87をマーク。やはり2日続けてやれば、これくらいは出るか。一方、前日好調だったKND氏は逆に百獣の王に戻ってしまい、YMN氏は昨日より10打以上改善。
9月下旬から10月上旬にかけては期の変わり目で会社の行事も相次ぎ、しばしゴルフは休止。その反動もあって、忙しい時期の過ぎた14日からは3週連続で出動することに。しかし、この3連戦が栃木草遊のフィナーレになろうとは、神ならぬ身ゆえ想像もしていませんでした。約ひと月振りに出動したのは、あの鬼門の方角にある那須グリーンコースクラブ。6月の暑い時期に来て散々痛い目に合ったコースですが、季節も変わり、前回の馬頭で復活の兆しが見え始めていただけに、その兆しが本物かどうかを試す出動でした。それに、元々自分は秋男。毎年秋になるとゴルフの調子は自然に上向いてくる....筈なんだが、結果は無残にも50・47=97と手ひどく返り討ちに。やはり方角が悪いのか?朝のスタートはボギー・パー・パーと順調な滑り出しだったものの、その後、トリプル3つにダボ2つと散々。後半のハーフでは、バーディを2つもぎ取るも、それ以外のホールでは5回も3パットをやらかしてしまい、パットにまったく自信喪失。元々パターの調子の波は大きかったものの、栃木へ来て益々パターが不調になってきました。
その翌週は栃木でコンペへ初参加。といっても、普段まだあまりお付き合いのない部門の主催だけに知った顔は殆ど無し。でも、久し振りのコンペで緊張感を持ってプレイ。ここ数ヶ月、緊張の無いゴルフが続いていただけに、良い刺激になりました。場所は、ユーアイGCなるところで、会社から東南の方角。方角も良し・・・・、でも、ゴルフで方角まで気にし始めるようになると、もう終まいか?。ただ、この頃、少しヒラメクものがあって、新しいスイングの実験をしてみようと思っていました。それは、グリップをゆる〜く握って、バックスイングをゆっくりと上げてコンパクトなトップで止め、そしてダウンスイングも意識的にクラブをゆっくり振り降ろしてくるものです。おそらく距離は少し落ちるでしょうが、クラブが正確にアドレスした場所に戻ってくる筈です。そしてキッチリとインパクトでボールにヒットすれば....。スタートして前半いきなり3連続パーで幸先よし。残念だったのは6番ホールで、2オンしながら4パットのダブルボギー。後で振り返れば誠に勿体無い。でもパーを5つとり42で折り返す。新しいスイングが旨く作用したと言えるでしょう。しかしそれは、まだ完全に体になじんでいるわけではなく、後半は早くも3番でトリプルボギー、続いて4番ダボ と、いつもの病気が顔を出す。結局、後半は46で、トータル88と何とか90を切り、ハンディを生かして3位入賞。優勝者はハーフ30台で廻っており、やはり栃木には上手い社員がいるものです。
そして、結果的に栃木での単身赴任期間中の最終となったラウンドへ。それは10月28日、場所は会社近くの25メンバーズクラブ琵琶池コース、そこは2回目のラウンドでした。この頃はようやく、毎年調子の上がってくる秋も深まり、加瀬秀樹か尾崎建夫を彷彿させるような「ゆっくリズム・スイング」が板につき始め、特にアイアンが真芯でボールをとらえることが増え、おまけに寄せでは、実験的に始めてみた9Iや7Iによるランニングアプローチが上手く距離感が合い出し、噛み合わせがよくなってきました。パットにはまだ少々不安はあるものの、そろそろ調子が上がってきそうな予感めいたものも出てきておりました。そして当日、スタートのミドルホールでいきなりバーディ発進。得てしてこれで調子に乗るとその後大たたきすることが多いので気をつけようと思っていたら、案の定、2番ホールはダボ。しかし、その後パーを3つとって結局、午前は43とマズマズ。午後も堅くいこう、そして切れずにやろうと、スタートし、3ホール目にトリプルを叩くも、7ホール目で9Iによるランニングアプローチが直接カップインするバーディがでた他、パーを3つとって午後も43。トータル86と、2週連続80台をマーク。いよいよ秋の陣、調子は良いぞ!次はどこへ行こうか などと考えたりなんかしていたのでしたが、その後、すぐに大阪へ転勤となり、栃木での草遊びは一旦終了することになったのです。奇しくも、4月の来栃一発目のラウンドと、最後となったこの日が、同じスコア86で、栃木でのベストスコアでした。今後万一、いや一万分の五千くらいの確率かもわかりませんが、又、再び栃木でゴルフ三昧できる日が来れば、今度はもっと......したいと思います。
結局、栃木草遊第一ラウンドの公式成績(1.5Rの場合はベストの1.0Rを算入)は、17回出動、ベストスコア:1R=86 ハーフ=40、ワースト:1R=101 ハーフ=52、バーディ数:9、平均スコア1R=93でした。
2002年1月に栃木を離れ9カ月間大阪勤務の後、2002年10月より再び栃木県Y市の事業所に赴任となり、栃木草遊録partUが始まります。10/1付栃木赴任直前の関西でのラウンドは、9/22は99だったものの、その前は86、87、81、79、83、88と過去に無かったほど調子が良く、このまま栃木のゴルフ天国へ赴任すれば、スコアは本格的に急上昇間違い無し と思っていたのは、大きな間違いでした。
栃木再赴任後、手始めに出掛けたのは地元の矢板CC。46・46=92と、まあ、初めはこんなものだろう。続いて那須野ケ原CC。49・45=94で、まだ赴任間も無く、調子が出ないなあ。続いて藤和那須CCに至っては46・54=100を叩き、何かおかしいぞ。12月に入って塩原CC。46・43=89。この難しいコ−スで89ならまずまずかなあと、自らを納得させ、更に翌週は八州(やしま)CCで雪中ゴルフコンペ。44・49=94で、ついに調子が戻らないまま、栃木草遊第2ラウンド初年度が暮れていったのでした。今年は栃木に再赴任する前、9月までの関西では、MIZUNOゴルフサイトのHDCPが12まで行き平均80台のスコアをキープするも、栃木へ来てからどんどん平均スコアを落とし、ついに年間アベレージ90.2と、目標の平均80台は叶わぬことと相成りました。歳が変われば、又、調子も戻らん...と、2003年は、例年ゴルフ冬眠している1月に早くも始動。この日、寮を出る午前七時は氷点下8C、南・東北の朝は寒い。ミサワガーデンCなるところにて、スタート時は氷点下5C。グリーンもバンカーもコチコチのコチ。グリーンにボールを直接落とせば大きく跳ねて必ず外へこぼれる氷のグリーン。80台など望むべくも無く46・47=93。翌2月も再びミサワガーデンCにチャレンジするも、49・46=95と見事に返り討ち。
気を取り直して、ミサワの近くのセブンハンドレッドCなるところへ出向くと、ようやく44・43=87。ようし!これからは80台を連発するぞ...も続かず、春場を迎えて那須小川GC、大日向CC、アローエース、ユーアイGC を攻めるも90を切れず。GWに奈良へ帰って新奈良GCで土砂降りの雨の中で85が出るも、栃木へ戻ると、チサンCC黒羽で91、那須黒羽GCで90。夏場に入って、那須国際CC、サンランドGC那須コースと栃木北部を攻め、87、89といよいよ復調の兆しかと思いきや、セブンハンドレッドCC、烏山城CCで98、92と、又、90台へ逆戻り。その後、ジュンクラッシックCC、ロペ倶楽部など、気分転換に大枚をはたいてプロトーナメント開催コースを攻めてみるも89に94、その後、早くも秋風が吹いてくる中、ミサワガーデンG、藤和那須CCでも90、88と、いくらやっても鳴かず飛ばずで進歩無し。良い1Wショットが出るもののアプローチをミスったり3パットが出たり、アイアンが良くなると1WでOB連発したり と、やることなすこと噛み合わないことの連続。ひとつひとつのショットには素晴らしい潜在能力を感じながら、それがどうしても繋がらない、続かない、噛み合わないもどかしさ。この間に、1WはHONMAプロチューンに買い替え、パターも永年使ってきたPINGパル4からHONMAの短尺軽量タイプへ替え、更には、キャディバッグもHONMAと、キャロウェイ・ホークアイのアイアン以外はHONMA一色に統一して新たな突破口を求めるも、不発に。そうこうしてるうちに、いよいよ、80台など程遠い半年間に亘る暗いトンネルに突入していくのでした。
いつも調子が上がってくる筈の秋本番を迎えなんとしても冬を迎える前に調子を上げたいものの、夏場から仕事は超多忙が続き、土曜は勿論早朝から深夜まで出勤し、日曜は何としてもゴルフに出かけ終わって夕方から又出社し深夜まで仕事....。こんなことで、落ち着いてゴルフに集中できず、当日の気合ばかりが先走り、体は思うとおりには動かず。本社出張も増え、10月には再び塩原CC、11月には大日向CC,12月には、初めてのジェイセレモCC....と月に一度がせいぜい。しかも、94、90、95と深みにはまるばかり。ついに2003年も年間平均90を切れず91.5で終わってしまい、しかも、次への光明も見出せず。2004年も2月1日から、昨年同様ミサワガーデンCで開幕。仕事もゴルフもやけくそで徹底してやるぞ〜「気合だ〜!!」と,翌週大日向CC、月末にはアローエース、更に3月に入って久し振りの25メンバーズC琵琶池、そしてユーアイGCと攻めに攻めるも、94、96、91、93、90と、いくらやっても90を切れず。ああ、今年は年初から90超ばかり。こんなことでは、今年は早くも平均80台はGIVE UPか!と、これから予想される平平凡凡な1年、いや、平平凡凡な今後のゴルフ余生に、絶望感が芽生え始めていました。しかし、天は我を見離してはいなかった。人生七転び八起き、人生万事塞翁が馬 と言っていいのかどうかはわかりませんが、4月になると、この栃木草遊録PartUに絶大な影響を与える出来事が待ち構えていたのでした。
2004年4月の会社の人事異動で、これまで超多忙を極めていた部署から解放され、新しい仕事に。あまり他人に左右されることなく時間が使える、阿呆の本社部門や小うるさい幹部とあまり付き合わずに済む、日曜日は勿論 時には土曜日でも出勤しなくて済む など、仕事環境が大きく変わりました。これがやはりゴルフに好影響をもたらしたのか?仕事にもゴルフにも運が巡ってきたのか?ゴルフスコアがぐんぐんUP!これまで何回も跳ね返されてきたいくつもの壁がドンドン打ち破られていくことになるのでした。仕事変更後間もない4月はまだ不調の流れを引きずって、塩原CCで95、那須国際CCでは、栃木に来て最悪の52・51=103をぶっ叩いた後、これを底に急上昇に転じました。
まずは、4月下旬の那須小川CCで42・41=83が飛び出た後、5月のGW休暇最終日の大日向CCで42・47=89、翌週再び那須小川CCで42・45=87と、80台を連発。6月に入っても、大日向CC86、千成GC88、ニューセントアンドリュースGCジャパン89と、安定して80台後半を継続。4月にはMIZUNOゴルフサイトのHDCPが、17にまで落ちていたものが16、15とどんどん上昇。そして7月に入り、2度の海外出張の合間を縫って出掛けたエヴァンタイユGCではついにハーフ30台が久方振りに飛び出し42・39=81の好スコア。そして何と、7月末のGCゴールデンウッドで史上初の39・39=78という1R70台を遂に記録!!PARってこんなに簡単にとれるのか?と不思議な思い。技術的には、やはり肩の力、グリップの力を抜いて体の動くままにゆったりとスイング、特にアイアンはオーバースイングに気をつけ、体の上下運動にも注意。前足あがりの斜面では、肩を意識して水平に回しダフりを回避。そしてアプローチは、トップを創った後、肩を左に戻してくることだけに意識を集中し手で打ちに行かないこと。そうすればインパクト時の手首の返りを防げダブらない。グリーン周りからは7Iなどでの転がしを多用、パターで距離を合わせるのと同じ感覚で距離を合わせて転がす。最大の課題であるパットは、グリップを強く握らず肩を軟らかく動かすのと、特にショートパットではフィニッシュで左手首を折らずに、又、左手甲をカップに向け続けて打ち終えることを心がける......などなど。しかしこれらは、これまで何回も試みて、出来るときもあれば出来ないこともあったことばかりです。しかも今までは、どれかが上手く出来ても他の何かが出来ず、すべてが上手く出来ることはありませんでした。だから、なかなかまとまったスコアが出なかったと言えます。しかし、5月以降は、なぜかしらこれらの大半がハーフ9Hを通して出来るようになりました。その他、これまでと違っていることは、最近ほとんど打ち放し練習場に行っていないこと。その方がラウンド当日に筋肉痛などが無く、却ってスコアメイクには良いのかも。これらの結果、1Wはとりあえず230Y〜250Y先のフェアウェイへ、セカンドショットはグリーン上のどこかへ、そして3パットを低減、グリーンを外してもなんとか寄せワンで凌ぐ、などなどが続くようになりました。
その後も、チサンCC黒羽、イーストウッドCC、GCゴールデンウッド、馬頭GCなどへ出かけるも、ハーフ39や38が頻発するようになり、1R80台前半が普通となって、4月までは94ぐらいだった2004年度の平均スコアはついに90を切り80台に突入。MIZUNOのHDCPも12、11にまでUP。しかし、そうなると、何かゴルフの目標が無くなってしまいモチベーションが低下。矢板CCや塩原CCなどへ行った時には、参考記録の練習ラウンドになってしまうなど、「これはいかんなあ〜」という状況に。そんな矢先、9月の那須黒羽GCで、前半は大雨の中49と大叩きのあと、雨が上がった後半を無心でラウンドしていると、何と2バーディ1ボギーのハーフ35(▲1)が突然出てしまいました。なっ何じゃこりゃ?!これまでハーフの自己最高は+2の38。ショートコースでもイーブンパーが最高だったのに、本当に突然▲1が....。こういうスコアが出ることは本当にあるんだ!!延長してもうハーフ続けていれば、ひょっとしたら、1R72くらい出ていたかも。それくらい、完璧な調子でした。....となると、又、新たな目標、言い換えると、可能性が出てきました。そう、即ち、1R72以下の達成です。タマタマひょんなことから35が出ましたが、これを1R続けることが極めて困難なことは十二分に承知。でも、ひょっとして可能性はあるかも。それにはボギーも許されない。もしボギーを打ったら、その数だけバーディが必要ということ。そうなると技術的には、パーオンしない状況になっても必ず寄せワンでパーを拾うアプローチとパット、そして、パーオンを重ねハーフ2つくらいはバーディをとるアイアンとパターの正確性、特にグリーン上では、パターを打つ技能だけでなく傾斜や芝芽などをキッチリ読むコツが必要。いよいよ、新しい領域「第3の領域」に突入か?(「第1の領域」は、ゴルフを始めてから悪くてもハーフ50台で回り他人と一緒でも迷惑を掛けないレベルに達する領域。「第2領域」は、その後、サラリーマンゴルファーとして、大抵の同伴者から「上手いなあ〜」と言われる1R80前後を出せるレベルの領域)。そして第3領域とは、PARプレイを目指す、サラリーマンゴルファーから抜け出しかねない、即ちサラリーマンゴルファーとしての最終領域とも言える極めてハイレベルの領域です。ゴルフを始めて苦節23年。遂に、臆面もなくと言うか、僭越と言うか、傲慢と言うか、自己過信と言うか、はたまた盲目蛇に怖じず と言うか、こんな大それた目標を設定するところへやってきました。しかし、その目標を実現するためには、これから普段どんな努力をしてゆけば良いのか?まず、それを見つけ出さなくてはなりません。
続く.....。