Golfを始めて20周年記念
Golfの花道 by 恭司
INDEX
中学生の頃と言えば、昭和46〜48年でしょうか。あの頃はワンポイントマークのついた衣類が、大阪府郊外にあって地元ではガラの悪さで評判の我が中学校で流行っていました。ペンギン(マンシング)、金の熊(ゴールデンベア=ジャック・ニクラウス)、傘マーク(アーノルド・パーマー)、パイプ(トロイ)、左向きのワニ(クロッコダイル)、メキシカンハット(リー・トレビノ)などなど。これの付いたセーターやベストやポロシャツ、或いは靴下、ハンカチなどを身に着けることがおしゃれで小粋に思われていた時代でした。これらの衣類はデザインが特段カッコいいとかいうわけではなく単に値段が高いというだけで、高い値の張る衣服を身に着けているという優越感だけで競って身に着けていたように思います。一番グレードの高いのがペンギンで、その次が傘。その他のマークでもそこそこのステータスでした。身につけているものの中に、ひとつでもこのマークものが無ければ、貧乏くさい奴と言われたものでした。今ならさしづめ、ルイヴィトン、プラダ、グッチ、エルメスなどのブランドものをひとつは身にまとっている女性たちと同じようなものです。
これらのマークものと言われたブランドが、実は大人のスポーツであるゴルフに関係したものだと知ってから、当時少しゴルフに興味を感じましたが、あの頃はゴルフなんて中学生とは全く無縁のスポーツであり、うちの親父もやっていなかったので、勿論自分もさして関心がありませんでした。でも、ジャンボ尾崎(将司)やコンコルド青木(功)などは新聞やテレビで名前は耳にしたことがありました。外国人のジャック・ニクラウスやリー・トレビノなどはどんな選手なのか全く知りませんでした。ちょうどその頃、シャープのTVコマーシャルで「♪〜ジャンボおざきは三拍子〜♪ロングラン・カラーTV」と流れていたことはよく覚えています。
さて、月日は流れ、高校生・大学生の間バレーボール一筋に打ち込んでいた自分は、昭和56年、現在の会社に入社しました。配属先には案の上、ゴルフに熱心な先輩達が約2名(NG氏とSM氏)おられ、又、上司たちもそれほど熱心ではないもののゴルフを多少はかじっておられました。熱心な先輩たちはしょっちゅうゴルフの話をしていました。そして、しばしば、自分に「君もゴルフやったらどうや。」と誘いかけてきました。当時の自分は、つい最近までバレーボールに熱中し、しかも体育会の運動部でバリバリの硬派スポーツマンを自負していたもので、まさに「血と汗と涙にまみれるものこそスポーツ」と固く信じこんでいましたので、「止まってる球をポーンと打って、歩いてそのボールのところまで行き、又ポーンと打つだけのゴルフなんてスポーツとは呼べない。ただのおっさんの遊びやんけ。」と馬鹿にし、そんな遊びに手を染めるなんて十年は早い....なんて思っておりましたので、先輩たちの誘いも冷ややかに受け流しておりました。しかし、普段お世話になっている先輩方の再三のお誘いを無下に断り続けるのも気がひけるので、入社2年目の初春頃から、先輩達と一緒にゴルフ練習場へお付き合いをするようになりました。ま、一応社会人としてのたしなみのひとつとしてかじっておこうかな という程度で、勧められるままにまずは安物の5番と9番のアイアンを2本購入して始めてみたわけです。
初めは先輩達に教えてもらうべく、毎週土曜日の朝、自宅から車で50分ほどの、さる練習場へ通いました。そこはNG氏の家とSM氏の家との中間地点にあり、二人には都合の良い場所でしたが、自分にとっては車で50分もかかるところだったのです。が、教えてもらう以上文句も言えず、毎週出かけたものでした。そこは池に向かって打ちこむ練習場で、確か2時間で1,200円の打ち放題だったように記憶しています。学生時代は体育会運動部で毎日鍛えていたせいか、数時間球を打つくらいではさして疲れはしませんでしたが、ご多分に漏れず最初は、クラブがうまくボールにあたらず、マットを叩いたりトップしたりして、手のひらはマメが潰れてベロベロになりました。でも、今でも練習でうまく打てないと、マメがつぶれるのは同じです。その頃は練習場の開場時刻の朝8時頃に着き、まず2時間打ち、喫茶コーナーで少し休憩した後、追加であと1時間ほど打ち、昼前に家に帰るパターンでした。時々、練習場からそのまま車で休日出勤することもありました。
最初に教えてもらったのは、当然グリップの握り方でしたが、これが又ゴルフ特有の握り方なもんで、これにはなかなかなじめませんでした。その次は、「とにかく肩を回してバックスイングしろ」ということでした。それ以降、それを信じて、とにかく回せるだけ肩を捻ってトップをつくり打っていく練習をし続けました。おかげで、「そんなに意識して肩を回せばオーバースイングになる。もっと浅いトップで充分である。」ということに気づくまでに10年以上もかかりました。しばらくは、5番と9番のアイアンばかり練習し、少しはましな当たりになった頃、ドライバー(1番ウッド)を借りて打ってみました。が、ウッドは又、シャフトがすごく長いので、アイアンとは感覚が異なりさっぱり打てませんでした。後にある人から聞いた話では、ゴルフを始める時に最初にアイアンから練習した人はアイアンが得意で、ウッドから始めた人はウッドが得意になる ということらしく、アイアンから練習を始めた自分は、今でもウッドが苦手です。ドライバーなんかは、コースへ行くと今でもちゃんとあたるかどうか不安な気持ちで振っています。
初夏の頃、職場に今年の新入社員であるUM君が配属されてきました。彼は大学でゴルフ同好会に入っていたということでした。先輩達から「どれくらいでまわるんや?」と聞かれ、「だいたいボギーペースです。(ボギーぺース=ハーフ45くらい)」と答えていましたが、それを聞いた先輩達には、ひょっとして自分たちよりうまいんじゃないか」と内心おだやかならぬものがあったように見受けられました。その内に新入社員のUM君は先輩達に誘われコースへ行きました。翌日、先輩達の話によるとUM君はハーフで54〜55くらい叩いたそうで、先輩達は「ハーフ54や55を叩くようじゃ大学の同好会も大したことはないなあ。」と言いながらも、内心はホっとしていたように見えました。
練習を始めてからやがて半年くらいが過ぎ、先輩達から「そろそろコースにでる準備をしたらどうか」と言われていました。でもクラブはアイアンを2本しか持っていなかったので、セットを購入しなければ...と思っていた矢先、NG氏が新しいクラブセットを買ったので、これまで使っていたクラブをそっくり譲ってもらえることになりました。ジャックニクラウスモデルで、そこそこのクラブだそうです。確かに、クラブの裏にはJACKNIKLOUSの刻印が。さっそくキャディバッグとパターとシューズを買い揃え、コースデビューに備えて全てのクラブの練習を始めました。しかし、ウッドはあい変わらず当たらない、アイアンは当たるが大きく曲がる、アプローチはダフってばかりで、こんなんで大丈夫かいなと思っていました。
その年の10月に自分は新しい部署に異動しましたが、席は旧部署の近くであった為、相変らず、旧部署の先輩達と練習に通っていました。そうこうする内に、「もうすぐA営業部が中心のコンペがあるからそれに出たら?」と先輩に言われ、いよいよコースデビューすることになりました。コースは三重県にある伊賀上野CC(現ジャパンクラシックCC)で、メンバーに当社の社員が結構おり、NG氏もメンバーの一人でした。周る組みは結構初めの方で、初めてのコースでのティショットは、大勢の先輩社員が見ている前でやる破目になり少々緊張気味でした。でも、他の皆なは一応クラブにボールが当たっているので、自分も何とか当たるだろうと思っていましたが、いざ、ボールを置いてアドレスしてみると練習場とは全く雰囲気が違い、とまどいを覚えました。が、「ええい、ままよ」とクラブ(当然ドライバー)を上げボール目掛けて振り下ろしてみたところ、「カツッ」と小さな音がしただけで殆ど手応え無し。やはりクラブはボールに僅かにあたっただけで、ボールは数m前のクリークに当たってコンコンと跳ねかえりどこかへ見えなくなってしまいました。いきなりチョロOBのスタートでした。周りがシーンとなっていたのを覚えています。
それから、同じパーティの人達のアドバイスを受けながら、コースを回りました。一番とまどったのは、100Y以内のアプローチでした。普通のフルショットがちゃんと当たらず右や左やゴロやダフリが出るのは覚悟の上でしたが、すぐ目の前にグリーンがありながら、うまく載せられないことにゴルフの恐ろしさを感じました。グリーンまでの距離感がわからず、距離の出ないピッチングウェッジで打ってもグリーンオーバーしてOBになるなど、何一つうまくいきません。クラブがボールにうまく当たったと思っても、はるか先の方でOBゾーンや池に突入。一応周りに迷惑を掛けない様、「打った後は走る」という初心者の心がけは忠実に守りました。若かったせいか、肉体的にはあまり疲れを感じませんでしたが、精神的には、練習場とのあまりのギャップにすっかり疲れ果ててしまいました。
デビュー戦のスコアは、ハーフいずれも70台で、トータル150近かったと思います。あのタイガー・ウッズは3才でゴルフを初め、初めてのコースデビューでいきなりハーフ40台でまわったという伝説を持っていますが、そんな話 ほんまかいな?と言いたくなるデビュー戦でした。感想はというと、まだまだこんなレベルではコースにはとても出られない との思いと、他の先輩たちがそれなりに楽しんでいるのを見て、早くあんな風にやりたい...との思いを深く抱いて帰路についたのでした。でも、心の中では「そのうち、すぐにうまくなってやる。だって今まで、バレーボールも、スキーも、ソフトボールも、やってきたスポーツは何でもすぐにうまくなったじゃないか!」という、自分の運動神経に対する自信(自惚れ)があったからなのです。でも、ゴルフだけは、これ迄経験してきたスポーツとはちょっと違っていました。
さて、予想通り散々なコースデビューのあと、旧所属の先輩たちとの合同練習は機会がぐっと減り、自分一人で家の近くの練習場へ行くようになりました。その頃から、TVのゴルフ番組やツアーの中継、ゴルフ雑誌をよく見るようになり、又、レッスン書も何冊か買いこんで、ゴルフの基本理論を覚えようとし始めました。そしてその基本理論を練習場で試しながら、体にそれを覚えこまそうと精を出しました。しかし実際にクラブを振っていると、どうしても本に書いてあることが、自分の体にしっくりこないものがありました。むしろ,色々試しながらレッスン書と違う我流の打ち方のほうがしっくりと馴染み、うまく打てることが多かったのです。例えば、@グリップの握り方。両手とも、親指とひとさし指の付け根をV字の形に絞ってクラブを握る なんてことはどの本にも書いてありますが、そんな握り方ではグリップがグラグラして頼りない感じがしました。 Aアドレスでボールを左足の踵線上に置くのだって、そうするとボールの頭ばかり叩くか手前の土をダフってしまいます。ダフるのを避ける為、ボールはむしろ、体のより中央に置いて打った方が、キチンと当たります。 Bアドレス時の手首の角度も、肩からクラブの先まで比較的一直線に構える 即ち左手の手首は普通の状態よりも少し下げ気味に構えるのが基本のようですが、自分はこれもしっくりこなくて、逆に手首を上に上げL字型にした方がアドレスが安定し安心感がある といったことなどです。これらは、本当に長い間試行錯誤を繰り返し、何回も基本の形を身につけようと思い直してはチャレンジしてきましたがうまく馴染めず、ごく最近まで我流のままでした。(最近、つまりゴルフをはじめて15年以上たってからようやく、ひとつずつ基本の型が何となくわかるようになり、基本形に近いアドレスがとれるようになってきました。)
こうして練習に精を出しながら、旧部門のSM氏やNG氏、会社では1年後輩になるUM氏などと2〜3カ月に一回くらいのペースでコースに連れていってもらっておりました。中には、岡山県へ1泊2日で出かけたりしていました。彼ら3人はかなり経験もあり、ハーフ40台後半か悪くても50くらいでまわってくる人たちでしたので、自分ひとりだけレベルが違っていましたが、親切に接し何かと指導して頂いていました。相変らず、ハーフ70台、良くても60台の日々が、1年ほど続き、中々50台が出ませんでした。原因はOBが多いことで、特にティショットではOBにならない方が少ないくらいでした。練習場でうまく打てていても、コースへ行くと、ティグランドの雰囲気も違えば打つボールの置かれている状況(斜面にあったりラフにあったり)も違い、全然思う通りには打てません。やがて当時の所属部署のHT部長やKG氏、MD氏などの先輩や取引業者のKB氏などともコースへ出かけるようになり、コースへ出始めてから1年くらい後、初めてラウンドしたコース伊賀上野CCで、ようやくハーフ54が出ました。が、喜んだのも束の間、後半のハーフは又72という始めた頃のスコアに逆戻りし、がっくりしたものでした。この頃から、力を入れて打ったらミスが多く無心で力まずに打つとむしろキッチリ当たって真っ直ぐによく飛ぶということがわかってきましたが、なかなか「言うは易く行なうは難し」で、思うとおりに行きません。54が出た時はやはり無心で力まずに振れていたものが、後半は「よおし、後半もやったるで」とまたもや力が入ってしまっていたことがその原因でした。今だって、ミスするのは必ず肩や腕に力が入っている時です。
その頃は伊賀上野CCへよく行きました。旧部署のNG氏の他、KG氏もそこのメンバーでよく連れていってもらいました。当時は開場して年数の浅いコースでしたが、アーノルドパーマー設計で、特にコースの両サイドが谷で、ショットを曲げると転がり落ちてOBになるところが結構あり、又、両ハーフとも最終ホールはロングホールでグリーン近くに大きな池があり、よくここへ放り込んだものです。今は経営者が変わり名前もジャパンクラシックCCとなって36ホールに増築されています。最近も時々行くことがありますが、その度に当時のことをなつかしく思い出します。
この頃から、トッププロのスイングを参考にし始めました。当時、ジャンボ尾崎はスランプの時期で、弟の建夫や直道もまだ駆け出しでした。強かったのは青木功や昇り調子の中島常幸、業師勝負師の杉原輝雄。そして、大学を出てプロ入りしたばかりの倉本昌弘、羽川豊、湯原信光などが新興勢力でした。その中から参考にしたのは杉原輝雄で、当時ゴルフ番組のレッスンコーナーをよく観ていました。杉原は、左肘を最初から最後まで曲げたようにして打つ、素人目には変則のスイングでしたが、彼の理論である「ダウンブローに打つ」が何となく説得力があり、それを真似て練習していました。彼のレッスンを見ていると、どこからでも、バンカーからでも、「少しオープンに構え、思いきってダウンブローに打て」ばっかりだったように思います。当時は、プロの間でも全般的にダウンブローが主流で、試合を観ていても草鞋のようなターフをとって打ち、打ったボールがグリーンの上をバックスピンで戻ってくるのが、誠にカッコよく見えた時代でした。又、杉原は、アドレスの時のボールの位置を、いつも左足踵線上ではなく、短いクラブになると体の中央よりに置いていました。そうすることで確かにダウンブローは打ち易くなります。これを観て練習場で試してみた自分は「これやんけ!」と少し開眼したわけです。
このダウンブローと共にこのビギナーの時期に開眼したことは、「腰の回転で打つ」ということです。クラブを上げたトップから振り下ろしてくる時に、腕を振ってボールを打ちにいく意識ではなく、まずトップで右に捻った腰を、ダウンでは意識して左に戻し更に飛ばす方向に回していくことです。そして腕は、腰が左に回されるのに引っ張られて自然に降りてくる という意識で振っていくこと。これに気付いて実践し始めてから、クラブに当たったボールはぐんと力強いボールとなり、又、右足に体重が残りにくくなるのでダフる率も減少しミート率が非常に良くなりました。この「ダウンブロー」と「腰の回転で打つ」のお陰でアイアンショットが非常によくなりました。しかし、ドライバーはアイアンショットの感覚とは全然異なり、依然、全くといっていいほど、うまく当たりませんでした。ウッドはアイアンよりフェースが広いのでボールには当て易いというものの、アイアンよりシャフトが長く 又 クラブ自体重いものです。この違和感に馴染めなくて、なかなかフェースにまともに当たらず、当たっても極端なスライスばかり出ました。そしてついに、当面ドライバーをあきらめ、コースではドライバーより短いスプーン若しくはバッフィでティーショットを打つことに決めたのです。これは本来邪道かも知れませんし周囲の人からからかわれたりもしましたが、ティショットのOBに最も悩んでいた自分は、早く安定してハーフ50台で回る為には背に腹は変えられない との思いで決断したのです。
ゴルフを始めて3年目頃から、コースにはよく出かけるようになりました。自分よりずっとうまい人もいれば、同じ位の人も結構身近にいることがわかりました。この頃にはようやくハーフ50台で周れるようにはなってきましたが、1Rで100を切ることはありませんでした。所謂、百獣(110)の王の時代です。とにかく誘われれば、どこにでも出かけ誰とでもゴルフをしていました。その為、会社のよその部署の社員や歳も離れ役職もずっと上の社員とも顔見知りになり、これは仕事の上でもプラスに作用しました。その頃会社の売店で、吉野CC,八重桜CC、名阪チサンCCが予約できたので、ここらには良く行きました。又、ゴルフ銀座と言われる兵庫県の中国縦貫道路沿いのゴルフ場にもよく行きました。当時のメンバーズコースは、ビジターでは日曜日の予約がとれないので土曜日によく出かけました。
この頃から、毎週土日曜はゴルフトーナメントをかかさず観、ゴルフ番組も毎週3〜4番組を観、毎週火曜日にはゴルフ雑誌を買って貪るように読み、毎週土曜日には練習に行って200球ほど打ち、月に1度はコースに出かけていました。結構やり出すとのめり込む方なのです。週刊のゴルフ雑誌には、アサヒゴルフ、パーゴルフ、ゴルフダイジェストの3誌がありましたが、当時はアサヒゴルフを毎週買っていました。ゴルフ雑誌のネタは、@前週及び前々週のトーナメントレポート A準トッププロの持論をベースにしたレッスンもの B用品の寸評とカタログ が主なもので、一見3誌とも同じような内容に見えますが、よく読むと微妙に違っていました。そして自分の知りたいネタが一番よく載っていたのがアサヒゴルフでした。しかし、1年くらいすると、ゴルフダイジェストに鞍替えします。ゴルフダイジェストは、他の2誌よりも若干、マニアックなネタが多いように思えたからです。即ち、その間に、自分の求める情報が少しレベルアップしていたのでしょう。今は週刊・月刊を併せもっと多くの雑誌が発行されていますが、当時よく読んでいたその他のゴルフ雑誌では、月刊のゴルフチョイスです。これは一冊1,000円くらいしましたが、大判で上質の紙にカラー印刷の頁が多い専門誌です。チョイスは、海外プロなどの特集ものとクラブの特集(所謂カタログ)のネタが多かったので、内容によって買う月と買わない月がありました。
ゴルフ番組では、レッスンプロの第一人者の小松原三男もの、杉原輝雄もの、教え上手の松井功ものなどがありました。「ゴルフ尾崎兄弟に挑戦!」では、この頃はスランプにあったジャンボ尾崎も出演していました。カムバックして賞金王に君臨するようになってからジャンボは出なくなりましたが、ギャラが上がったからか?、プライドからこんな番組には出なくなったのか?その後、ジャンボ軍団の番頭格の飯合肇が出演するようになり、タイトルも「ゴルフ尾崎兄弟・飯合に挑戦!」と、長ったらしいものに変わりました。しかし、番組内のレッスンコーナーやプロとの対戦コーナーに出場するタレントや素人ゴルファーの腕前を比べると、この「尾崎兄弟に挑戦」に出てくる素人が一番レベルの高い人が出ていたように思います。自分の腕が上がるにつれ、自分と同等かヘタな素人が出ている番組は段々観なくなっていきましたが、最後まで観ていたのは、この「尾崎兄弟に挑戦」でした。これは今でも、継続放映されています。スポーツ新聞系の広告代理店に勤めている中学時代の友人から、「杉原輝雄がやっているゴルフ番組やったら俺の口ききで出したるで」と誘われましたが、杉原輝雄は口が悪そうなので断りました。
これだけ自由時間をゴルフ漬けにしていましたが、腕前の上達はボチボチといったところでした。この頃からスイングは色々といじりまくりました。グリップ、アドレスの姿勢、スタンス、トップ、ダウンと細かくチェックし、自分にとって最も打ち易いスイングを模索しました。これだ!と一度は開眼したかに思えても、しばらくすると、そのスイングでは全然打てなくなり、又、違うスイングを模索する...ということを何回も繰り返し今日に至っています。この頃は、お手本とするプロを決め、そのスイングを真似ようとやっていました。当時、きれいなフォームと言われたのは、日本人では山本善隆、外国人ではセべ・バレステロス。でも、フィーリングが自分に合っているようでその時選んだのは、ジェット尾崎建夫でした。大型プレーヤーながら柔らかい体と手首を生かし、ややハンドダウンのアドレスから大きくゆったりしたスイングでビッグショットを放つのは誠にかっこよかったです。これを真似ていたせいか、自分のスイングもゆったりしたタイミングになったようです。自分と同じ次男坊ということで親近感もあり、その頃から応援をしています。でも、ここぞという場面で勝負弱いところがあり、この辺も何か自分に似ているようです。しばらくジェット尾崎のスイングを真似ていましたが、すぐに、ジョー尾崎直道に乗り替えてしまいました。尾崎直道は、もっとハンドダウンに構え、両腕の三角形の形を変えないようにアップライトに上げ、肩を大きく回して、その後、下半身リードで振っていきます。一回これを真似したところ、「あっ!こっちの方が打ち易い!」と思って、それから数年間、この尾崎直道のフィーリングでスイングするようになりました。しかし、グリップは超変則の握り方を敢えてしていました。その頃、ウッドもアイアンもひっかけボールに悩んでいました。これは右手に力が入り過ぎインパクトで右手首を返しているからに違いない と分かっていても、意識してそれを矯正することは出来ません。従って、その防止策として、アドレスの時から、右手をぐっとかぶせて、右手の甲が正面を向くくらいにし、そして中指と薬指でクラブを握るが親指と人差し指は浮かせクラブを握らない という変則グリップを編み出したのです。そしてややハンドダウン気味のアドレスから左肘を伸ばしてバックスイングし、左肩を大きく回したトップから、ダウンでは下半身リードのもと、左手一本で振っていく感じでスイングしていました。このスイングは変則とわかっていながら、当時はこれが自分にとってもっとも安定感があり、きれいにミート出来るスイングでした。このスイングは、多少修正は加えるものの以降約10年間、ベースの型であり続けます。
こんなことを続けている内に、スコアもようやくハーフ40台後半が出始め、1Rでも100を切る時が出始めました。しかしまだまだ不安定で、その日の調子次第で、110近く打ったりすることもありました。あれは、ゴルフを始めて4〜5年目の1985〜6年頃だったでしょうか?当時よく一緒にコースへ行っていたUI氏、IT氏、AC氏とのプライベートゴルフで吉野CCへ出かけた時のこと。な、な、なんと....突然ハーフ38が飛び出したのです!朝のスタートはINコースから。天候は曇り時々晴れのおだやかな状況。その頃は相変らずドライバーに自信がなかったのと吉野CCは比較的距離が短めなので、ティショットにはバッフィを使いました。そのバッフィのティショットが絶好調で、フェアウェイセンターに一直線。しかも、距離も他の人のドライバーと遜色の無い当たり。加えて変則グリップのアイアンも好調。グリーンを的確に捉えていました。1H、2Hとパーの後、3H目のロングホールの第3打はラフからだったものの7番アイアンが芯をくってピンに一直線。ピンそば2mほどにナイスオン。これを沈めてバーディで−1のスコアになりました。これまでバーディをとったのは何回か経験がありましたが、通算スコアでアンダーになったのは初めて。続く4Hのショートは1オンしたものの、下りの長いパットを残す。しかしこれも2パットでおさめて依然−1。5H目のミドルで2オンに失敗、その後寄らず入らずで初ボギー、でもまだイーブン。6H、7Hもなんとパーが続く。8H目のショートホールは打ち下ろしで風がアゲインスト。8番か9番か迷った末に9番で打ってショート。アプローチも寄らずボギーとなり、ついに+1。そして最終ホール、これも距離のあるセカンドショットで2オンに失敗。慎重に寄せるも2m弱の真横からのスライスラインを残す。入れと念じて打つも無情にもカップを外れボギー。結局、1バーディ3ボギーでトータル+2の38となりました。 しかし、今でもよく覚えているでしょ。
急にこんなスコアが出たもので、どう喜んだらいいものかとまどうことしきり。振り返ってみると、ボギーを打ったのは、パーオン出来なかった3つのホール。いかにパーオンすることが大事か、又、グリーンを外してもきっちり寄せてパーを拾うことがどれだけ大事か ということを、実はこの時はあまり感じていませんでした。とにかく30台が出た!ということでウキウキしていただけでした。そして昼からのハーフはどうなったかというと、やはり、1時間あまり休憩すると筋肉の調子が変わってしまうのか、後半もやったるぞと思うと力が入るのか、別人の如く豹変し、49も叩いてしまいました。その差11打。そして1Rトータルで87というハーフ30台を出した割にはパっとしないトータルスコアになってしまいました。しばらくは1Rのベストスコアもこの87の時期が続くのですが、過去のベストスコアを誰かに訊かれても、ハーフ38は言いますが、1Rのトータルははっきりとは言わないようになりました。その後、今日に至るまで、ハーフのベストスコアはこの38です。ただし、ちょっと変則的なコース即ちハーフのPARが34や35のコースで+2というスコアは2回ほど出したことがあります。PAR3ばかりのショートコースでは、9Hで+1やパープレイの経験はあります。(こんなの関係無いか?!) 尚、PAR36で39や40は何回かありますが、この38はこれ以来約14〜5年間、出ていません。あ〜進歩が無い!そしてこれまでの1Rのベストスコアは、え〜と、82か83だったはず。あれっ?はっきり思い出せない。
ドライバーが苦手な為、スプーンやバッフィを使っていたのですが、そのうちにスプーンのネックが曲がっていることに気がつきました。僅かですが、フック気味に曲がっています。いつ曲がったのかわかりませんが、このクラブを譲り受けた時には無かったはずです。でも、「まあ、スライスが出にくくなっていいや。」くらいに思って、そのまま使っていましたが、たまにショットがフック気味に飛んだりひっかけ気味な当たりが出ると、やはり気になってきます。やっぱりまともなクラブに替えないと上達しないかなあ?と考えながら、ふと別なことも思いました。「待てよ....苦手なのは今持ってるこのドライバーであって、クラブを買い替えたらドライバーもうまく打てるかも知れない。」そこで、思いきって新しいドライバーを購入することにしました。実はこれ以降、今日に至る自分に合うドライバー探しの遍歴が始まるのです。
新しいドライバーは、どこかの百貨店のゴルフ用品バーゲンで購入しました。いざ買い替えるといってもどれが良いかは、実際に使ってみないとわからないものです。何を基準にしたらいいのかわからず、結局、何となく振り易そうな勘がしたクラブにしただけです。しかも、バーゲンのものを。そのドライバーは、ヘッドは勿論、当時の主流のパーシモンでしたが、フェイスに何か忘れましたが金属が張ってあるものでした。そして、シャフトは流行りたてのカーボンシャフトでやや軽目で弾力性(しなり)がありそうな感じでした。そして、これを期待しつつ練習で使ってみたところ、相変らずというか、別な意味で というか、やはりうまく打てませんでした。勘で選んだクラブとは言え、これもダメか!と嘆きましたが、買った以上、これをしばらく練習し打ちこなせるようになろうと、使っていくことにしました。このクラブは、安定して打ちこなせなかったものの、当たればとてつもなく飛ぶクラブであることが分かりました。
その頃、そのドライバーをバッグに入れ、名阪チサンCCでのあるコンペに参加した時のことでした。当時の名阪チサンCCは36Hのゴルフ場で、距離が短くてトリッキーな伊賀コースと距離がそこそこある阿山コースとがありました。その日は距離のある阿山コースでのプレイでした。さるロングコースに来ましたが、そこは、ティグランドからゆるい打ち上げが続き、セカンド地点からは昇って平らになる為、グリーンが見えないレイアウトでした。新しい件のドライバーでティショットを打ちましたが、インパクトの感触は良かったものの、ボールはやや右方向に低目の弾道で一直線に飛んでいきました。そして右のカート道路の内側のラフの中に白い球が転がって止まったのが視認できました。フェアウェイを外し、ややがっかりしてボールの止まっている地点へ行き、他のプレーヤーの様子を見ると、自分の位置よりはるか後ろで皆なウロウロしており、2打を打とうとしています。「打ち上げだから皆なあまり飛んでいないなあ」とキャディに言うと、「あれで普通ですよ。お客さんのが無茶苦茶飛んでます。ここまで打つ人は滅多にいませんよ。」というコメントが返ってきました。へえ?そんなものなの!と思いながら、グリーンまでの残り距離を訊くと180Yくらいでした。全体が460Yくらいだったから、その時は打ち上げで280Yくらい飛んでいたことになります。しかもやや斜めに。それまではドライバーはまともには当らないので、飛距離なんてあまり考えていませんでしたが、280Y前後なんてアマチュアでは驚異的な飛距離です。まあ、当時はまだ20歳台と若かったことと、結構飛ぶクラブでタマタマ芯をくった当たりが出たからなのでしょう。そしてこのホールではこの後、今日まででまだ一度しかやったことの無いイーグルが飛び出るのです。
さて、このロングホールの第2打は、そこからグリーンは見えませんが、ピンまで凡そ180Yで打ち上げ。おまけにボールは右サイドのラフ。ここは無理しないでグリーン手前まで運んでおこうと、得意だった5番アイアンでセカンドショット。しかしこれが、やや左足上りということもあって左方向に少しひっかけ気味に飛んでいきました。左前方には小高い土手がグリーン手前まで続いていますが、そちらの方向へ飛んだようでちょっとまずいかなと思いました。ボールの落下地点と思われるところへ行き、周辺のラフや土手の上を探しましたがボールはありません。ふと見ると、誰かが既にグリーンにオンしています。尚も探しながら、他の3人をチラっと見ると、3人ともグリーンの外からアプローチをする体制。ん?他の3人がまだこれからアプローチをするということは、あのグリーンの上のボールは誰のだ?まさか隣のホールからグリーンには間違っても打ってこないだろう。となると、ひょっとすると、まさか?自分のボールは確かにこの左の方向へ飛んだはず。しかもグリーンには届かないクラブだったはず。でも、自分のボールは探しても無く、あそこに他の誰のものでもないボールがある。あれが自分のボールだったらラッキーだが、まさか?と思いながら一応、グリーン上のボールを確認に行きました。すると、卓球!いや違う、ピン!ポン!自分が打ったトップフライト(だったかな?)の4番のボール。これやがな!と思ったものの、念の為、他の人にも確認したところトップフライトを使っている人はおらず、やはり、このボールが自分のセカンドショットと認定せざるを得ませんでした。何か狐につままれているようですが、ピンから5mくらいのところにナイス2オンです。ひょっとしたら、左サイドの何か固いものに当たってグリーン方向に跳ねたのかもわかりません。初めてのロングホール2オンに心弾みました。
さて、この生涯初のイーグルパットは下り5mのスライスライン。スライスラインは比較的得意な方ですが、下りであり距離感が掴みにくい。初めてのイーグルパットなので、まあ外して当たり前だなと思って、割と簡単にパットを打ったと記憶しています。ところがこれが、ス〜っときれいなラインを描いてカップにコロンと入ってしまいました。やった!やってしもた。意外にあっさりとイーグル達成!ということで、心ウキウキしてその後のラウンドを続け、ハーフを終了しました。スコアは45でした。そして後半のハーフも45で、トータルスコアは、当時の自分にすれば上出来の90でした。しかし、その後、今日までイーグルはその時の一回だけです。ロングホール2オンはこれまで数回ありますが、何れもカップから遠い位置からのイーグルパットばかりで、なかなか入ってくれません。ショートホールのホールインワンも無し。ま、ホールインワンはまぐれ(運)以外の何物でもありませんが、実力で獲るイーグルには何回もチャレンジしていきたいものです。ただし、この初イーグルは、どう贔屓目にみても、実力で獲ったとは言えないでしょうネ。
その時のコンペでは確か2位だったと思います。初めての上位入賞でした。おまけに馬券も一人勝ちで大金も転がりこみました。賞品のポロシャツはサイズが合わないので、親父に進呈しました。そして、そのコンペには、当時トーナメントのテレビ中継にも時々映っていたベテランプロゴルファーの実弟であるAT氏がいたのを覚えています。彼はその後、理由は知りませんが、会社を辞め転職したそうです。
ハーフ38も出た、イーグルも出た。ちょうどその頃は、1985年かその前あたりだったでしょうか?1985年と言えば、そう、日航ジャンボ機が墜落し坂本九ちゃんを初め多くの人がなくなったり、阪神タイガースが優勝したり、そしてその後のバブル経済を生み出す「円高」を決定づけたG7(主要国蔵相会議)が9月に行なわれた年でした。そしてこの円高が、日本では、外国製ゴルフクラブの値引きを促進してくれたのです。ちょうどハーフ38も出た、イーグルも出たので、そろそろ自前のクラブ(アイアン)セットを購入してみようか と考えてもいました。当時使っていたニクラウスモデルをくれたNG氏も、たまにコースへ一緒に行くと「まだこのクラブ 使ってんのか?」と言います。そろそろ買い替え時であることを自分なりに感じていました。
そして、どんなクラブが良いのか、雑誌を読んで研究していました。勿論、国内メーカーでは、ブリヂストン、ダンロップそしてミズノがメジャーブランド。カッコつけはホンマ。この当たりは結構、値がします。新興メーカーではマルマンにヨネックス。外国モデルでは、スポルディングやマックスフライやウイルソンなどの老舗があり、カッコつけはリンクスか。青木功が契約しているというパワービルドは国内?外国?
そして色々雑誌を見ていると、当時ゴルフの本場アメリカで非常に脚光を浴びているクラブがあるとの紹介がありました。ひとつは、当時流行り出していたメタルヘッドのウッド(金属なのにウッド(木)と呼ぶのも妙ですが)で、テーラーメイド社のバーナーシリーズ。そして、アイアンセットはパターの老舗カースチン社のPING(ピン)アイ2でした。このウッドとアイアンの組み合わせがアメリカの若手プロの間で爆発的に流行っているとのこと。メタルウッドは当時、ウッドクラブの主流であったパーシモン(柿の木)製から替わりつつあった頃でしたが、まだ一流プロはパーシモンでした。メタルはアメリカの若手が使い出していましたが、パーシモンに比べ球の回転が少ないので曲がりが少なくランが多く、結果的に距離が出ると言われていました。一方、アイアンのPINGアイ2は、クラブの形状はアヒルを思わせるようなちょっと変わった形で、今では主流ですが当時では斬新なトウ&ヒール設計で、スイートスポットが広くミスを最小限に留めてくれる。しかも低重心なので球があがり易いとのこと。その構造の結果、クラブの裏には、目(アイ)のデザインが施されています。今日全盛のいわゆるキャビティタイプの草分けです。加えて、これも当時は斬新なグースネック構造でロングアイアンでも球を捕らえ易いとのことです。その他にはシャフトは固め、というのもカースチン社の設計思想には、シャフトのしなりでボールを飛ばすという発想は無く、いかに正しくクラブの動きを球に伝えるかを追求した結果、シャフトを固くしているらしい。これらのことをゴルフ雑誌等で知るにつけ、このPINGアイ2は、まさに通好みのこだわりクラブと見受けました。そして、合理主義のアメリカでは、特に若手プロの連中には、一見ぶ格好な常識破りな道具でも、理にかなった性能の良い道具であるならば、こだわりなく受け容れられるということだったのでしょう。
しかし、PINGアイ2の最大の特徴は「フェースの溝の形」といわれ、そしてこの溝の形が、アメリカで裁判沙汰になるほどの物議をかもすことになります。他のメーカーのアイアンのフェースの溝は、V字構造ですが、PINGアイ2は、U字構造でした。それだけなら問題にはならなかったのでしょうが、アメリカのツアープロたちの間ではいつしか、PINGアイ2で打つと、雨で濡れたラフからでもボールがグリーンでよく止まる と言われるようになりました。実際そうだったのかも分かりません。そうなると、そのクラブを使うゴルファーはプレー上、大変有利になります。そこで、トムワトソンをはじめ、他メーカーと契約している一部のトッププロが「このクラブの性能は公平でない、その特徴はこの溝にある、溝の口径が規定より幅広い、故にボールに回転が良くきき、グリーンでよく止まる、規定より広い溝を持ったPINGアイ2は違反クラブである」というように契約メーカーに依頼されたか?イチャモンをつけ、論争、裁判に発展しました。「溝の口径が規定内か外かは測定方法の解釈の違いである。どこからどこまでを溝と見るかによって測定値が異なる。必ずしも、PINGアイ2の測定方法は間違ってはいない。だから、PINGアイ2は、違反クラブではない。」とういうのが、カースチン社の言い分でした。PGA(全米プロゴルフ協会)とカースチン社で大いにもめましたが、最終的には和解しました。その条件は、@PINGアイ2はPGAでは使用禁止とする Aカ社が主張する溝の測定方法は有効とし、その方法によって測定されたPINGアイ2の後継モデルは使用可能とする。 BPGAはカ社に和解金を支払う というようなことだったと記憶しています。いずれにせよ、PINGアイ2はプロの間では評価の高いクラブでありましたが、短期間で競技の前線から姿を消す幻の名器となってしまいました。
この最終和解の前に、自分は、このPINGアイ2を購入するのですが、このクラブのうんちくを聞くにつけ、又、アメリカの若手プロの圧倒的な支持を受けているとのことを聞き、すぐに、買うならこれしか無い と思うようになりました。そしてゴルフショップに足を運び、何度も眺め、触り、持って構えたりしました。1本の定価は確か25,000円で、9本セットで225,000円。店頭では180,000〜190,000円くらいの値段で売っていました。少し後に、ヘッドがベリリウムカッパーという銅で出来たさらに高額なタイプも出ますが、それほどではないにしても20万円近くするクラブを買うのは、少しためらわれました。贅沢を言わなければ、3〜4万円でもアイアンセットはあるわけですから。そうこうする内に、世界の為替市場で円高が進み約1年近くたった1987年だったでしょうか?大阪・本町のつるやゴルフで「円高還元セール」と銘打ち、PINGアイ2が、9本セット135,000円・1本15,000円で販売されていました。もう、買うしかない と思いました。PINGアイ2の更なる特徴は、ライ角(フェースとシャフトとの角度)によって何種類かに区分されており、個人の体型や好みに合わせて選べます。しかし、店頭には1〜2種類しか置いてないことが多く、後は取り寄せになるのでしょうが、PINGは外国メーカー品であり、日本に在庫が無いと取り寄せに2カ月くらいかかることもあるそうです。その日のつるやゴルフには、奇跡的に長身者向けライ角のセットがありました。あったというより、これだけが残っていたと言うべきか?試しに構えてみると、従来のクラブに比べて非常にアップライトな感じ。でも店員が「お客さんの背丈なら、これくらいが丁度でしょう。」と言うので、これを信じて決断しました。シャフトは、固いので有名なカ社の中では最も柔らかい方の「Kシャフト」を選択。ついに買ってしまいました。かなり後になって思ったのですが、この、単なる価格ゾーンではない本当の通好みの渋い道具選び(実は自己満足)は、後に車を買った時に「7thスカイラインの自然吸気版ツインカム、マニュアルボックス、シルバー・スポーツタイプ」を選んだことにも、共通項はあるのではないでしょうか?きっと、こういうもの選びをする性格なのでしょう.....余談でした。
ついでに言うと、時期をほぼ同じゅうして、テーラーメイドのロフト9.5度のメタルドライバー「バーナープラス」、PINGパター「パル4」、そして白地に黒字のPINGロゴのキャディバッグも購入してしまうのです。キャディバッグは使うクラブと同じブランド・ロゴに合わせるのがカッコいいと雑誌に書いてありましたし、これで自分もアメリカの若手ツアープロと同じ道具で同じ気分で、ゴルフをやりまくるぞ!ラフからでもグリーンにビタっと止まる球を打ちまくるぞ!と、すっかりノボセ上がっておりました。
事前の検討では充分に満足していた新しいアイアンセットでしたが、練習場へ打ちにいくと、さっぱりうまく打てません。まあ、初めて使うクラブだから仕方ない、じっくり打ちこんで慣れていくしかない、なんせ理屈の上では素晴らしいクラブなのだから....と言い聞かせていました。でも余りに打てなさ過ぎます。どうすれば早く打ちこなせるようになるか?考えた結果、@グリップを替えよう.....前に使っていたクラブでも、グリップが磨り減った時には自分で新しいグリップに付け替えていましたが、当時、たまたま5番アイアンに付けたグリップが他のクラブより若干細いサイズだったのですが、これが自分の手の平にフィットしギュっとしっかりクラブを握ることが出来、安心して振りぬけていたのでした。一方、PINGアイアンのグリップは普通のサイズより太目のものが付いていました。おまけに、グリップの先端が特にグッと膨らませてあります。この形状とサイズがどうも自分には合いません。サイズが太いと何故か握りが不安定に感じられ、その為にしっかり握ろうとして余計手に力が入り過ぎ、左手親指の腹に力を入れて打ちにいってしまいます。そうなると、所謂、空手チョップ打ちになり、フェースが大きく開いてボールに当たりソケットのような球筋になります。これがどうしても意識だけでは治らないので、思いきってグリップを細いものに付けかえることにしました。新品のクラブでロゴもキッチリ入ったものを、他のパーツに一部付けかえるのは、一般人の平均より多少潔癖症の傾向がある自分にとっては心穏やかではありませんでしたが、打てるようになる為には、スコアの為には仕方ないと、断腸の思いでグリップを付け替えました。まず、3本くらい、そして様子を見て残り全部。付け替えた後、握ってみると、同じサイズの市販品にしたのに、はめ方に違いがあったのか?番手によって少しずつ握った感触(サイズ感)が違いました。やはり太めに感じた番手は苦手感が残りました。3番と6番と後で別途購入した2番が、何回付け替えても太く感じられたのは何故でしょう?他の人はどんな感触でグリップを握っておられるのか、他人は余りそんな細かいことに神経を使っていないのか、自分が神経質になり過ぎているのか?グリップの悩みは今後、ずっと続くことになります。
A二つ目は、フェースの裏に鉛を貼ってヘッドを重くしてみよう....このヘッドバランスの調整はプロをはじめ、よくやっています。自分はの場合は、グリップに不安感があったこともあって、ダウンスイングを腕の力で振っていくのではなく、ヘッドの重さを感じながら自然に慣性で振っていこうと考えたのです。そうすることで、スイングプレーンが安定するのではないかと考えました。これは多少効果があったようで、打ち易くなりました。しかし、ラウンド中に、別な理由で腕に力が入ってしまった時には、むしろダフリやすくなったとも言えます。 このように、@とAを合わせると、ヘッドの重いクラブを細いグリップでギュッと握って打つ感触 を選んだと言えます。これが、この新しいアイアンを打ちこなす早道だと考えたからですが、しかし、結局どうだったのでしょう?この選択は。普通に、PINGアイ2のありのままで根気良く何年も練習し、これに慣れていっていた方が、もっと上達したのでしょうか?でも、ゴルフをやっていく楽しさの大きな要素として、又ゴルフに限らず何かを極めようとする時のやり甲斐のひとつとして、自分自身で探求していく楽しさ があるのではないでしょうか?与えられるものにさして疑問も持たずに黙々とやり続けるのではなく、より良い方法(やり方)を求めて工夫する、現状を否定すらして新しい方向を模索すること があって良いのではないでしょうか。結果、それが凶と出ることもあるでしょう、遠回りになってしまうこともあるでしょう。でも、自分の工夫で未知なるものを探求していくこと それ自体がおもしろいのでは......。でもこれは、「こつこつと根気良く愚直に努力を積み重ねていくこと」が性に合わない人間の言い訳なのかも知れません。 いずれにせよ、この後、このPINGアイ2のアイアンと メタルドライバー、そしてPINGパターたちと共に、悦びと挫折そして寵愛と疑心の長い月日が始まるのです。
PINGアイ2にテーラーメイドのメタルウッドにPINGパター.....と、道具立てをちょっと小粋に決めたあとは、颯爽としたプレー振りに磨きをかけねばならない とばかり、雑誌からネタを集め、通ゴルファーの心得をマスターしていきました。その幾つかを披露しますと.....@キャディバッグのブランドロゴは、入っているクラブ(アイアン)と同じものに A手袋は止める部分がV字のものを選び、ボタンは敢えてせずに開けておき、手の甲にV字型の日焼けをつくる Bシューズは本革もので、砂よけがないものを Cボールマークはゴルフ場のものではなく自分だけのコインを使用 Dズボンの腰には、ティやボールをぶら下げない Eティショットでは、ボールをティに乗せる時、片足だけ曲げて乗せにいく。両膝を曲げてしゃがまない。又、アドレス前に飛行線後方から方向チェック(するポーズ)を。Fティショットがナイスショットであっても、「う〜ん、ちょっとヒール気味かな」とつぶやく。 Gグリーンでカップインした後にボールをカップから取り出す時も、片足だけを曲げてボールを拾う。しゃがんで取らない。などなど。
球を打つこと以外で、これくらい気を使うと、もういっぱしの通ゴルファーもどきです。あとは、通らしい球を打つだけですが、これはもう、研究と練習しかありません。しかもこれは、打つと一目瞭然でごまかしようがありません。特に、自分がティショットを打つ時に、後ろの組がプレーを終えてこちらのティへぞろぞろやってきて自分が見られるのは、いやですねえ。特にその時点まで調子が悪く自信が無い時は。ゴルフは自信がとても大事です。自信が無くなると必ず上手く打てません。自分の場合は、特に、スタートホールのドライバーのティショット。体も温まってませんし、アドレスやグリップが練習の時と同じ状態になっているか、トップの位置はこれでよかったか、力が入り過ぎていないか....と気になります。場の雰囲気も練習場とは違うし、いつも不安で一杯でした。あたって曲がってOBならまだましですが、当たらずチョロや空振りに近いチップもしょっちゅうありました。そこでこれを克服する為に始めたのは、練習場でいきなりドライバーから打ち始めることです。コースへ行けば、練習などせずに、素振りもそこそこに、難しいドライバーから打たねばならないことが多々あります。それなら、普段の練習の時から、いきなりドライバーを打ちにいくことに慣れておこうとしたのです。普通、練習は、ウェッジなど短いクラブから始め、体が温まるにつれて大きなクラブに移っていくものですが、敢えてドライバーをまず握り、いきなりでもそこそこは打てるようなイメージを養うことを始めました。これは今でも続けています。
スイングの理論を覚えることも重要です。特に様々な斜面(前足上り、前足下がり、右足上り、左足上り)では、体の向きの合わせ方・各足への体重の乗せ方・アドレスとトップでの膝の曲げ方、グリップを握る長さ、スイング弧の大きさなど、それぞれ理論的で「なるほど」と思う、あるべき打ち方が存在します。これらをキッチリと覚えておいて、実践しないといけません。いずれも少しずつ変えるだけですが、理論に反する打ち方では、結局上手く打てません。後で後悔しないよう、打つ前のアドレス時にこれらをよおくチェックしますが、あまりチェックに時間がかかると体がだんだん緊張して固くなりスムーズに動かなくなるのが難しいところです。さっと構えてさっと打てればいいのですが....。すっと気持ち良く自然にアドレスがとれると、その時は必ずナイスショットが出ます。そういう場面は1Rに1〜2回くらいありますが、その時は何故か、打つ前にナイスショットになる予感がし、その通りになります。もっとその回数が増えれば、スコアも良くなるのに。逆に、アドレスがなかなかしっくりこずに、バックスイングを始められない時もあります。こういう時は決まってミスが出ます。もう一度アドレスを最初からやり直せばよいのですが、他の人が待っている中で、何回も仕切り直すのはご迷惑なので、つい「えいやっ!」で打ちにいってしまいますが、こういう時は必ず上手く打てません。アドレスに入る前にチェックする項目を予習しておき、アドレスはスムーズに固め、サッと打ちにいく......。これをマスターすることが、実はまだ出来ていません。自分の経験から見極めた持論に「ナイスショットを決める要素は、アドレス7割にトップ3割」があります。これは的を得ていると思います。アドレスを決め、トップが決まったら、後はそのまま振りぬくだけ。この2つが決まっていれば、クラブは自然にうまく振れる。逆に言うと、「うまく振る為に、即ち、ボールにうまくクラブを当てる為に最適なアドレスとトップの追求」がスイングの研究だと考えています。そしてそれを出来るだけ体に覚えこませ、自然に構えられるようにするのが練習だと思います。打った球がキレイに飛んだかどうかは、アドレスとトップがもたらす必然的な最終結果に過ぎません。
でも、これがなかなか身につかないんです、何年やっても。 今日、わかった!身についた!と思っても、次にプレイする時には、その感触を忘れてしまっています。微妙に筋肉の調子や感覚が違っているのでしょう。ゴルフは他のスポーツに比べ、筋肉の調子や精神的なものが少し違えば、結果に大きく現れるスポーツだと思います。結局、その差を埋め得るものは、反復練習の回数なのでしょうし、その反復練習の回数の多い人がプロになっていくのでしょう。プロほどではありませんが、これまで何回も、調子が狂っては練習場へ行って修正し、体に覚えこませ、又狂っては再び体に思い出させることをやってきましたが、本当にきりがありません。金を使うばっかりです。でも、長いスパンで見てみると、やはり全般的には上達していると言えるのでしょうか。そうでないとやってられません。そう信じてやるしかないでしょう。一方で、練習をしないと結局、腕前は下降していくばかりという脅迫観念にかられて練習に精を出しているところもあります。プロであっても、レベルの違い・水準の違いはあっても、結局は我々のこういったのと同じ理由で練習をしているのではないでしょうか?プロでもトーナメントで、初日トップだったのに、2日目ガタガタで予選落ちなんてケースもたまにあります。プロは生活がかかっているからもっと大変でしょう。本当にゴルフはデリケートなスポーツです。成果はともかくとして、この頃は、自分でも本当に根気よく練習をしていたと思います。でも本音は、もう少し上手くなっていてもよかったのではないか とも思っています。この時期に悩み続け、試行錯誤を続けたのは主に、次のようなことでした。
@ウッドとアイアンで、打つフォームやフィーリングが違うこと。本当は、ウッドもアイアンも同じ感覚で振るのが普通なんだと思います。シャフトの長さが違うので、アドレス時の歩幅や姿勢やボールを置く位置,或いはトップの高さなどが少し違っても、スイングするイメージやフィーリングは同じであるはずです。プロのスイングを見ていても、基本的に同じです。しかし、自分の場合は、どうしても、アイアンのフィーリングでウッドが打てない、当たらない。 逆も然り。うまく打てる打ち方が、ウッドとアイアンでは大き違うのでした。従って、アイアンのスイングとウッドのスイングを2種類、体に覚えこませなければなりませんでした。さらに同じウッドでも、ティアップして打つドライバーと地面からダイレクトに打つフェアウェイウッドでまた違うので計3種類でしょうか。(その為、フェアウェイウッドは長い間使っていませんでした。)そしてそれぞれが、その時期によって少しずつ変わるので、スイングの矯正や試行錯誤をいやというほどやってきました。あんまりイジクリ過ぎて、何が自分に合っているのかわからなくなったりもしました。元々から我慢して同じスイングを長く続けていれば、最終的に身についたのかもわかりませんが、しょっちゅうコースに行くので、何とかそこそこのスコアで回る為に、都度、最もうまく打てそうなスイングをその場その場でやってきた結果、キチっとしたものが身につかなかったようです。およそ、数カ月〜半年前後で少しずつスイングが変わっていたようです。1年くらいはコースに出ず、これは、というものを移り気せずに徹底して体に覚えこませた方が、よかったのかもわかりません。又、この頃はまだ、初心者の頃にきいた「肩を回せるだけ回してトップをつくる」という教えを信じていましたので、トップはかなり大き目でオーバースイング気味だったので、余計不安定だったのかもわかりません。
A空手チョップ打ちが頻繁に出ることにも大いに悩みました。ここぞ!というときに、手に力が入り過ぎるのか、左手甲が上を向いた状態で、クラブを降ろしてしまい、インパクト時にフェースが開いてボールにあたり、シャンクのようにボールが右方向に行ってしまうことが、しばしばありました。特に、不得手なロングアイアンで飛ばそうと思った時、90〜100Yの距離をピタっと寄せようとウェッジで打つ時、20〜30Yのアプローチを上手く打とうと意識し過ぎた時などに突然出ます。そして意識して直そうとすれば、余計に手に力が入り、同じことを繰り返してしまいます。せっかくグリーン近くまで来ておいて、これが突然出ると、本当にがっくりきます。アプローチでこれが連続して出た時は、グリーンの回りを時計と反対回りにぐるぐる回ることになり、実に情けない思いです。これを防ぐ方法は、左手の親指の抑えをを殺して薬指と小指でしっかりグリップする感覚でクラブの重みを感じて振ることや、体の回転を意識し腕でボールを打ちにいかないこと などだろうと思いますが、どうしてもこれを忘れて力を入れてしまった時に出てしまいます。
Bアプローチでザックリが多いこと。これも実際、起きると精神的に相当ショックがきます。しかも、何回も続くことが多く、又、これを防ごうと意識すると、今度はトップが出ます。その内に、怖くてアプローチできない状態になります。大きいスイングは上手くミートできても、小さいスイングが上手にミートできないことへのイラダチは相当大きいものがあります。小さな円弧とは言え、スイングを始めてからはこれを意識して調整するのは困難なので、アドレス時点でキチっとヒットできる状態が出来ていないといけませんが、これがやはり出来ていないことが原因だろうと結論づけています。まず、ミートする瞬間は体の姿勢や手首の形や肘の伸び具合がどんな形になっているのかを調べて、それをアドレスの時に先につくっておく。そして、そのアドレスから、クラブを上げて元のアドレスの形に戻してくる。これで良いのではないかと考えます。スイング中、その形が変わらないように、肘を伸ばしたり縮めたりしない、手首の角度を変えない、体の軸を動かさない などに気をつける。こんなことを一生懸命意識して、体に覚えこまそうと練習しました。特に、アドレスした時に比べダウン時では、遠心力で腕が少し伸びて降りてくることが、ダフリの主原因であると考えます。最初から腕は伸ばし気味にアドレスし、ダウンで腕に力を入れずに戻してくる(クラブの先と肩との距離を変えないこと)。でも、なかなかコースの実践の場に出るとうまくいきません。アプローチは小さなスイングであり、ちょっとした誤差が目に見えるミスを生むので、アドレス時やバックスイング時につい色んなことを考えてしまったり、「うまく打てるか?こんな感じで良かったか?」と頭の中で不安感がよぎったりすると、腕の力感覚が変わってしまい、練習通りのスイングにならなくて、ミスってしまいます。他方、パターならば小さいスイングでも大抵ミスらずにミート出来るので、苦肉の策として、パターを使っているつもりでウェッジをパターと同じ要領で振ってボールに当てていた時期もありました。しかし、グリーンエッジあたりからのアプローチはこれでもいいですが、20〜30Y飛ばさないといけないアプローチではこの方法は使えないので、やはりキチっとしたアプローチスイングを身につける必要がありました。一緒にラウンドする仲間の中には、全体の腕前は大したことはなくても、アプローチは、キチっとミートする人がいます。手先が器用なのでその場の感覚だけでこなせているのか?すでに一定の感覚が身についているのか?とても羨ましい限りです。アプローチはいまだにスイングが固まりません。とにかく、ボールへクラブを当てにいこうと思わずに、アドレス時の肘と手首の形のままクラブを振り、その軌道上にボールがあることを信じる......これが今現在の極意です。う〜ん、難しい!アプローチ用に、PINGアイ2のロブウェッジを別注で購入し、これを主に使いました。
そして、Cドライバーが全然上手く打てないのは、相変らずでした。PINGアイアンを買った以上は、テーラーメイドのメタルウッドを ということで、9.5度のバーナープラスRシャフトを購入。しばらく頑張って使っていましたが、うまく打てず。当たり損ねでも、取り敢えず前に220Yくらい飛んで、多少右や左に曲がるくらいの当たりで安定すればそれでよし....なのですが、当たらない時はクラブのネックに当たって左45度へのチョロや、ダフりもちょいちょい、当たれば200Y先へのどスライス又は、220Y先への左ひっかけ。とにかく、打てば半分はOBになるという状態。スイングを色々試すも、これはというものが見つからず、クラブを変えるしかないとのことで、同じバーナープラスのSシャフトドライバー、或いはブラッシー(2番ウッド)、スプーン、短尺のパーシモン、その他衝動買いで2〜3本を含め、この時期の約6〜7年間くらいで、7本くらいウッドを試し買いしましたが、どれもうまく打ちこなせませんでした。金でショットが買えるなら....数万円くらいはいつでも出すぞ、高いクラブでなくてもいい 上手く打てさえすれば.....という心境でした。
Dフライングエルボーも直りません。スイングでトップの状態の時、右肘が開いて右脇が開いた状態になります。これは癖というか、この方がトップに安心感があるというか、自分では自然なスタイルなんですが、ビデオや写真で見るとやはり変です。グリップがおかしいのか、トップの位置がおかしいのか色々試し、又、意識して右ひじを畳んで数を打ちこなしたりしましたが、どうも馴染めず。男子プロにはこんな肘の選手はいませんが、女子プロにはいました。昔の服部道子と今の福島晃子です。特に福島晃子は今や日本女子のトッププロですが、右肘ははっきり開いています。別にフライングエルボーでも、打てりゃいいんだ と安心しましたが、見た目はやはりカッコ悪いので出来れば直したいです。
E右足の先が開くアドレスも直せません。アドレス時の足のスタンスは、右ききの人の場合、右足は飛行線に対しほぼ直角、左足はやや開き気味に構えるのが基本です。しかし自分は最初から左足は勿論、右足も開いてアドレスしています。所謂ガニ股のスタンスです。プロでこんなスタンスをしているのは、ちょっと古いですが、台湾の謝敏男くらいでしょうか。基本に忠実に構えてみようと務めましたが、右足を開いた方が自分では安定します。無理に直角に構えると、体全体が左を向いてしまいます。これはよく思い起こしてみると、他のアクションでも同じでした。普段歩いている時も、左足は真っ直ぐ踏み出しますが右足つま先は開いて歩いています。速く走る時には右足は開いて土を蹴っています。又、子供の頃に竹馬に乗っていた時も、左足は板に真っ直ぐに載せていましたが、右足は確かに板を斜めに踏むように外股にして竹馬をやっていました。この足の癖の為、ゴルフでは、バックスイングの時に右膝が外へ流れて右の壁が出来ていませんでした。トップで右足の小指の付け根から踵外側あたりに体重がかかって、右足の土踏まずや親指の付け根が浮き上がるような感じになっており、そこからダウンスイングで左足に体重を戻してきています。これも意識しても直りませんでした。でも、これはスイングの致命傷では無いように思います。
こんなことに色々と悩みながら自分に最も適したスイングを求め、それを固めるべく、練習に精を出してきましたが、結局、癖は直らない というか、直そうとすると一時的に余計おかしくなり、それを我慢して直し続ける根気がありませんでした。向上心はかなりあったと思います。基本に忠実なものを目指すのか、自分流のフィーリングの合うスイングで妥協するのかの葛藤にさいなまれながら、ゴルフに精を出していましたが、結局、最終的には自分流の方向へ流れていったようです。この間は、中島常幸のレッスンビデオ、倉本昌弘のNHKのレッスン番組なども参考にしていました。ラウンドスコアは、それこそ、その日の調子次第で全然違っていました。大体、悪いと110近く(110を超えることはもうあまり無かったです。)、良ければ、90くらいで、その差は18打くらい違っていました。その大半は、ティショットのOBの数です。アイアン、アプローチ、パットなどは、それぞれどれかが良いとどれかが悪いといった感じでしたが、いずれにせよ致命傷にはならず、結局はウッドのティショットの調子次第でした。
スコアの壁で言うと、この頃(1988〜1990年頃)は1Rで90の壁がありました。そして安定して両ハーフ共に40台を出すことが、ラウンドする時の目標でした。
この頃からたまに、プロのトーナメントを観にいくようになりました。最初に行ったのは、毎年6月頃に大阪読売GCで開催されるサッポロビール読売オープン(当時)で、これには何回か行きました。その他には、秋のビッグトーナメントであるラークカップ(当時)でABCゴルフへも何回か、又、天野山CCでの日本プロも1回、又、女子のトーナメントのサントリーレディースも1回。トーナメントを観ると参考になることが多いので機会があれば行きたいのですが、関西での大きな試合は年に3〜4回くらいで、電車等で行くには場所が遠くて億劫だし、チケットも結構高いので、タダ券が手に入った時くらいしか行ってません。しかし、行けば行ったで見所はあります。
トーナメントに行って上位グループについて回ってもあまり収穫はありません。ギャラリーが多いので間近でプレーを見て回るのは至難の技ですし、ショットの球筋も遠くからだとよく見えません。観るとしたら次の2つの方法がお勧めです。@有名なプロだがその時は順位が下にいる選手の組について回る。順位が下だとギャラリーも少なく、結構、間近で観られます。特に、ずっと下の順位だと、裏街道と言って、INコースから(10番ホールから)スタートする組がありますが、ここにトッププロがいればしめたもの。この組について、じっくり観て回るとよいです。A途中の1カ所にとどまり、順番に選手がやってくるのを観つづけること。特に、ショートホールのグリーンと次のホールのティグラウンドが近いところを選んで徘徊し、ショートホールのプレーと次のティショットの両方を観るのが効率的です。ティグラウンドでドライバーショットを真後ろから見るとおもしろいです。ジャンボ尾崎や丸山でも、調子が狂うとトンでもなく曲がったクソボールを打ってしまう時があります。そんな時、尾崎はあからさまに不機嫌な顔で「あ〜あ」と口走ったりしています。
でも、やはり、トーナメント会場へいって参考になるのは、スタート前の練習場へ行って、次々に練習にくるプロを順番に観ていくことです。その為には、朝早く会場へ行くことが必要です。朝7:30から8:00頃に会場へ行って、最終組がスタートする10:00頃まで各選手のフォームを間近でじっくり観察するととても勉強になります。プロ選手を間近で実際に見ると、体つきは意外にきゃしゃです。普通の大人とあまり変わりません。特に、倉本昌弘や田中秀道はチビですし、田中なんかは、そこらへんにいくらでもいるひょろっとした兄ちゃんといった感じ。ただ、皆な顔の色は日焼けして異様に茶色いです。体がごっついのはやはり、ジャンボやジェット尾崎、川岸良兼や加瀬秀樹あたり。そして、彼らはスタート前に30球ほど練習します。その時のプロのスイングを間近で見ると....。
まず、ウェッジで軽く50〜80Yくらいを打ちます。見ていると1球たりともダフらない。軽〜くゆっくりした、しかしフォローの大きなスイングで柔らかく球をつかまえて60Yくらい打ちます。バックスイングは小さくてもフォローは大きく、フィニッシュはキッチリ決まっています。我々のように、とにかくボールにクラブが当たりさえすればいいといったことではないようです。1球目を打った時に少しターフがとれますが、2球目からはその削りとったディボットの手前にボールを置いて打ち、ダフることが無い為に1球目にとったディボットの上をクラブが正確に走っていくので、ディボットはそれ以上大きくはなりません。クラブの番手を上げて行っても同じ。ダフらないから、ディボットの大きさは最初のままです。さすがです。
プロのアイアンショットは、トップの位置がコンパクトで一定です。予想したよりもクラブを高く上げてはいない。せいぜい耳の高さまで。これに比べたら、我々アマチュアのスイングは全部オーバースイングといえます。アイアンは力一杯振る必要のないクラブです。距離は番手が決めるもの、大きなスイングで力を込めて振る必要は無い。いかに正確にミートするかを第一に考えたスイングでなければならない ということでしょう。それと、トップで手首が動かない。ぐにゃっとならない。アマチュアは高くあげすぎて、おまけにトップでまだ、手首が折れるくらい振り上げています。プロは全く違いました。一方、ドライバーは、それぞれが個性的です。飯合肇や陳志明はよくわかるドローボール。金井清一や杉原輝雄はフェードボール。ジャンボ尾崎や川岸良兼などのドライバーショットはレベルが違い過ぎて参考になりません。しかし、練習でもコース本番でも、力を入れて力んでクラブを振っているプロは一人もいませんでした。軽く振っている。でも、軽く振っていても芯(スイートスポット)に当てているから、よく飛ぶ。逆に我々は、力を入れて振っても、いや、飛ばそうと力が入るから尚更、芯に当たらずに飛ばない。ここがプロとアマとの違いなんでしょうね。そして、ジャンボ尾崎のショットの凄さをコースで目の当たりにしました。ミドルホールの打ち上げのセカンドショット地点でのこと。ジャンボのミドルアイアンのセカンドショットは、打った瞬間は地を這うような低い飛び出し......一瞬「ミスしよった!トップボールや。」と思ったら実は大間違いで、低い飛び出しの後、途中からぐ〜んと球が急上昇し(多分、強烈にバックスピンがかかっている)、打ち上げホールのグリーンの上に高々と舞い上がり、ポトンと落下してナイスオン。一方アプローチ。ショートホールでジャンボがグリーンを外し、ボールの止まっている位置からグリーンにやってきてアプローチの落としどころを見にきたが、あちこち見ずに、カップ手前3mほどの1カ所だけをじっと見ていた。そしてグリーン手前から、20Y〜25Yくらいの高いアプローチを見せると、さっきじっと見ていたその1点(ピンポイント)にキッチリとアプローチのボールはバウンドしていました。ごくっ。
練習用グリーンに足を運ぶと、又、驚きます。塩田何某とかいう無名のプロがボール4つほどを使ってパターの練習をしていました。距離が15m以上離れた遠い場所から4球打っています。その4球のうち1球はカップに入る。他の3球も1m以内。今度は別の15mくらい離れた場所から又4球打つと、又1球ないしは2球が必ずカップに入る。勿論、ラインは真っ直ぐではなく、途中でうねっている。でも、3〜4球打つと必ず1球はカップに入る。ラインの読み、力加減、方向性......無名のプロにしてこのレベル。言葉無し。プロがリラックスした状態でパターをした時はどれだけ凄いかの一端を垣間見たような気がしました。一方、グリーン脇のバンカーでは倉本がバンカーショットの練習。これも言うまでもなし。
女子プロのショットも、我々アマチュアには大いに参考になります。女子はさすがに非力で距離は出ません。我々男子のアマの方が当たれば飛びます。でも、正確性が全然違います。キチっとボールにクラブが当たっています。芯に当ててさえいれば非力な女子プロでも18ホールをパープレイで回れるのですから、我々男子アマも、力を入れてボールを飛ばす必要はありません。ドライバーはせいぜい200Yも飛べばいいのです。力を入れて飛ばそうとするよりも、キチっとボールをミートする方がどれだけ大事かを、女子プロは教えてくれます。でも、そううまくいかないんだなあ、これが。
又、ラフからのショットは、男子も女子も、プロはうまく打ちます。我々は、ラフに入ると必ずキチっと当たらずに距離が出ません。でもプロは、簡単に打っているようですが、キチっとボールを捉えています。長い芝に負けることもないようです。トーナメントをやる時は、ラフの芝はかなり伸ばしています。かつて岡山県のコースに、トーナメントが終わってしばらくしてから行ってプレイしたことがありましたが、トーナメントの時のままラフを刈ってない状態でした。足首が隠れるくらいまで芝が伸びていましたが、その中へボールを打ちこむと、次はとてもまともに打っても出ません。サンドウェッジで横の方へとにかく出すだけが精一杯です。でも、プロはそんなところからでも、グリーン目掛けてショットしています。プロでもそんなに腕力が強いとは思えませんが、やはり、ラフの中のボールでもキチっとクラブの芯で(ラフごと)捉えているのでしょう。
自分に刺激を与える為に、又、基本を思い起こす為に、これからもプロのトーナメントに時々足を運ぶことにします。
これまでで、打ちっ放し練習場なるものに、どれくらい通ったでしょうか?今でも、コースへ行くよりはたくさん通って練習しています。ゴルフを始めて10年くらいは、月2〜3回は行ってました。コースへ行かなくても、練習場で球を打つだけでおもしろかったものです。1回行くと、150から200球は打っています。200球以上打つことはあまりありませんし、100球以下も殆どありません。ざっと計算すると、この20年間でアバウト、500回以上通い、80,000球以上 球を打ち、1,000,000円ほど 練習場にお金を落としてきたのではないでしょうか。
過去の体験では、1球の値段は、8円から13円です。13円というのは、バブル全盛の頃の大阪の練習場で土・日曜の昼間の単価です。8円というのは、同じく平日の昼間又は、現在、奈良の練習場で、土・日曜でも、早朝に行った時の単価です。平均すると1球10円くらいでしょうか。この1球10円という値段は、我々にとって一体安いのか高いのか?ドライバーで200Y以上かっとばしても、10Yのアプローチを練習しても値段は同じ。なんか、ちょっと打つだけの練習ならもったいないような気もしますが、そう思ってアプローチの練習をさぼると、コースへ出た時の結果が大いに違いますので、さぼってはいけません。1球10円もかかっていると思ってしっかり10Yのアプローチをこなさなければなりません。球を打った結果、気持ち良くすかっと打てても、チップしたりざくっとダフっても1球打てば10円です。ですから、練習でも上手く打てれば得をしたような気分ですし、さっぱり思うように打てなかったら、無駄金を費やしたようで腹が立ちます。
かつて、1988年から1991年頃のバブル経済の頃は、コースの会員権も高かったですが、ゴルフのプレー人口も膨張していました。練習場へ行っても、学生風の兄ちゃん姉ちゃんがちゃらちゃら群れて来ていたり、おばはん連中がわいわい来ており、土日曜日の昼間は、1時間くらい待たねばならないことがよくありました。自分がゴルフを始めた1982〜3年頃は、練習場へ来ている人の中で20歳台前半と言えば結構珍しかったのに、1990年前後は若い世代が増えていました。コースにも若い者が増え、しかも若いへたくそな者だけで来て、わいわいちゃらちゃらだらだらとマナーもエチケットもわきまえずにプレーしているのには、非常にむかつきました。仲間内でスキーかテニスをやるような感覚でゴルフに手を染めていたようです。ゴルフは一定のレベルになってからコースに出ないと、周囲に迷惑をかけることになるスポーツです。スキーなら、初心者は初心者コースで滑っていれば迷惑をかけないけれど、ゴルフに初心者コースはないわけですから。ゴルフ場にはメンバーシップコースではなく、誰でも申し込めるパブリックコースがあります。初心者や女の子の混じった学生たちは、このパブリックコースへよく来ます。プレーヤーの制限は無く料金も安いので、初心者向けのコースと思って気楽に来ているようですが、パブリックコースと言えども、キチンとマナーを守りキビキビとプレーしてもらわないと困ります。パブリックコースはそんなことから初心者が多く、プレーに時間がかかるので、普通のゴルファーはやはり敬遠します。自分も嫌でした。しかし、バブルの崩壊とともに、ゴルフ人口も減っていったのか、最近は練習場も混むことはあまり無くなり、コースは特に、日曜でもビジターだけでプレーできますし、平日はガラガラです。我々普通のゴルフ好きにとっては望ましい状況です。
さて、打ちっ放し練習場で練習するにも、色んな工夫があります。@置いてあるマットに沿って一方向にだけ打つのではなく、目標物を色々変えて、スタンス・向きを変えて打ってみる。コースへ出ると、風景がその場その時で違いますので、打つ時の目標の取り方が非常に大事です。アマチュアは、アドレスの時、実際の方向よりも右を向き易い傾向がありますので、これに注意して、真っ直ぐ目標にスタンスを合わせられるように、練習時からそのコツをマスターすることが必要です。
A古い練習場では、土の上にマットを置いて打つところもあります。こんな練習場の方が、実は、練習にはGOODです。マットを除けて、土の上にボールを直に置いて、それをクリーンに打つ練習が効果的です。アマチュアのショットは大抵ダフっていますが、マットの上ではダフったことがわかりにくいもの。コースに行ったらダフってばかりなので「おかしいなあ」と思いますが、実は練習場からダフっているのです。土の上から直接打つと、ダフったら土に痕が残るのですぐにわかります。しかも、手に響きます。ダフらずにクリーンにとらえ、かつダウンブローに打ってボールより前の土を少し削るのが理想的です。特にアプローチをダフらずに打つのは難しいです。プロの横山明人や坂田信弘の話では、彼らが研修生になって練習を始めた頃は、まず、バンカーの中からボールを打たされたそうです。これと同じで、マットの上からばかり打っていても、上手く打てているのかどうかは分かりませんので、土の上にボールを置いて練習することが効果的です。でも、最近は、土の上で打つ練習場は少なくなったようです。自分が大阪の自宅近くで通っていた練習場は土でしたので、これをよくやりました。ただ、これをやっていると、ダフったり、ダフらなくてもあまりにもダウンブローに打ち過ぎると、土埃が舞い上がってうっとうしいこと、地面に穴があいて打つ場所が無くなってくること(練習場の人に見られると何か言われそう)、余りにも調子が悪くダフってばかりすると手のひらのマメが剥けたり手首が痛くなってくること などから長くは続きませんでした。最近、奈良でも足場が土の古ぼけた練習場を見つけ、一回久し振りに練習しましたが、今ではもう、土の上からはさっぱり上手く打てませんでした。
B土ではなくマットで打つしかないなら、マットの端っこにボールを置いて打つこともよい方法です。ミスの方が多いなら、マットの左端に置くのがいいでしょう。上手く打てていればダウンブローに打っていてもマットに触れないわけで、マットに触れた時は、必ずダフった時だと考えられるからです。
C必ず1階で練習しましょう。ショットを打つだけなら2階・3階でもいいですが、アプローチを練習し、距離感を養うには、1階でやらないといけません。
Dアドレスは一回一回仕切り直して練習しましょう。練習場では、グリップを握ったまま、ボールの前に立ったまま、続けて何回もボールを打ってしまいがちですが、実践的に、一回一回、仕切り直してアドレスを都度固めてボールを打つほうが良いです。コースでは、何回も打ち直し出来ないわけですから、一回一回アドレスすることになります。それでも、すっとスムーズにアドレスに入り、上手く打てるように、練習の時からそれと同じリズムでボールを打っておくことが必要です。
Eいきなりドライバーから打ってみましょう。練習の基本は、体の動き即ちスイングの小さい、短いクラブから練習を始めることのようですが、敢えてまず、ドライバーで10球ほど打ちます。その後に、基本通り、短いクラブから振っていき、又、後でドライバーをちゃんと練習します。何故なら、我々アマチュアは、コースへ行っても、練習などせずにプレーを始めます。しかも最初に振るのは、最もボールに当てにくいドライバーでのティショットです。従って、いつもスタートホールで最初に振る時には、「うまく当たるかな?」と不安一杯で始めることになります。その不安を抱かずにある程度の慣れを持ってスタート出きるように、練習の時から最初にドライバーを振り かつ ある程度うまく当てられる体と意識の慣れをつくっておくことが大事なのではないかと思います。練習場へ行き、まだ温まっていない体でドライバーを打っても大きなミスではないまずまずのショットが打てるよう、自信を身につけたいと思っています。
コースに出なくても、練習場に行って打ったボールの軌跡を目で追っていくのも、それだけで楽しいです。コースにいると想像して、打ったボールの球筋を眺めて「ナイスオン」などと心の中で叫んでガッツポーズ....。その為には、自打球がよく見えることが必要です。ですから、かつては、夜に練習に行っていました。昼間に行っても、天気が良くないと、ボールの行方は見えにくいものです。球筋が見えないと練習も面白くありませんし、スイングが良かったのか悪かったのかもわからず、何の為に金を払っているのかわかりません。夜に行くと、ライトに照らされて、落下するまでボールの行方が見え、楽しいです。でも最近は、時間がないのと料金が安いのとで、夜ではなく早朝に練習に行っています。あまり球筋は見えません。